た道元和尚の法燈《ほうとう》は、今なお永平寺に消えずにいるという。それも俺は見たい。応永のころ一条|戻橋《もどりばし》に立って迅烈《じんれつ》な折伏《しゃくぶく》を事とせられたあの日親という御僧――、義教《よしのり》公の怒《いかり》にふれて、舌を切られ火鍋《ひなべ》を冠《かぶ》らされながら遂《つい》に称名《しょうみょう》念仏を口にせなんだあの無双の悪比丘《あくびく》は、今どこにどうしておられる。それも知りたい。叡山《えいざん》の徒に虐《しいた》げられて田舎《いなか》廻りをしている一向の蓮如《れんにょ》、あの人の消息も知りたい。新しい世の救いは案外その辺から来るのかも知れん。だがこれも今のところ俺には少しばかり遠い世界だ。……
「方々見廻しては見たが、まあ現在の俺には、諦《あきら》めて元の古巣へ帰るほかに途《みち》はなさそうだ。それそれそなたの主人、一条のおやじ様の書かれた本にもあるではないか。『理ハ寂然《じゃくねん》不動、即《すなわ》チ心ノ体《たい》、気ハ感ジテ遂《つい》ニ通ズ、即チ心ノ用』……あの世界だ。あのおやじ様は道理にも明るく経綸《けいりん》もあるよい人だ。只《ただ》惜しいかな名利が棄《す》てられぬ。信頼《のぶより》や信西《しんぜい》ほどの実行の力も気概もない。そして関白争いなどと云うおかしな真似《まね》をしでかしては風流学問に身をかわす。惜しい人物だ。それにつけても兄《あに》様の一慶和尚は立派なお人であったぞ。いまだに覚えている、『儒教デモ善ト云フモ悪ニ対スルホドニ善ト悪トナイゾ、中庸ノ性ト云フタゾ』などと、幼な心に何の事とも分らず聞いておったあの咄々《とつとつ》とした御音声《ごおんじょう》が、いまだに耳の中で聞えている。そもそも俺のような下品下生《げぼんげしょう》の男が、実理を覚《さと》る手数を厭《いと》うて空理を会《え》そうなどともがき廻るから間違いが起る。そうだ、帰るのだ、やっと分ったよ。虎関、夢窓、中巌、義堂、そして一慶さま……あの懐しい師匠たちの棲《す》まう伝統へ、宋《そう》の学問へ、俺は帰るのだ。」
 そこでようやく言葉を切られますと、そのまま石からお腰を上げて、こちらは見向きもなさらず丘を下りて行かれます。わたくしは呆《あき》れて追いすがり、「ではこの先どこへおいで遊ばす」と伺いますと、「明日にも近江へ往く、あの瑞仙和尚がおられるのだ。何か言
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