は傲然《ごうぜん》と私を見返したが、女は寧《むし》ろ避けるやうに自分の菊の花を向ふ側に向けた。
第三の人が言つた。
――私は女が一人で或る省線の歩廊から電車に乗らうとするところに行き会つた。私が性急に乗り込まうとすると、女は一たん車台に掛けた片足を態々《わざわざ》引つ込めて、人を見下すやうな例の微笑を示しながら私に先を譲つた。頸には紫色の菊の花をつけて。
噂は明子の耳にも伝つて来た。言ふまでも無くそれは伊曾と劉子に関するものに異《ちが》ひなかつた。そしてこれらの人々の観察はどれも夫々《それぞれ》一面の真相と一面の反感に依《よ》る大きな歪《ゆが》みとを有《も》つてゐるのに相違なかつた。
明子はこの噂を耳にしたとき、不思議に美しいものを見たやうに思つた。それは或ひは、さまざまな出来事が彼女を無残に踏み荒したあとの疲労が知らず知らず彼女の情感の反射熱を昂《たか》めてゐたせゐに異ひない。情感はいつ知れず彼女の胸に丸やかな肉の線を与へてゐた。呼吸をするたびに、その胸の線がまるで白鳥の胸のやうに豊かにふくらんだ。膏脂《こうし》が体内に沈澱《ちんでん》して何か不思議な重さで彼女自身を懶《もの
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