のまま前後左右に揺れ動いてゐた。彼等も黙つてそれらの影に加はつた。何か古ぼけた曲馬団の悲劇がエクランを流れてゐた。道化役の白い衣裳《いしょう》が不恰好《ぶかっこう》に歪《ゆが》んで吊《つる》されたやうにエクランの中心を横切つたりした。その白ぼけた光がある時はエクラン一ぱいに膨らみ、客席の人の顔を鈍く照し出すのだつた。明子はそのたびに隣の村瀬の方をぬすみ見した。微光はすぐに消えて、彼女は青年の表情を読むひまはなかつた。何時《いつ》のまにか明子は、きつちりと黒の手袋をはめた自分の手の中に村瀬の手を握りしめてゐた。村瀬はぼんやりと映画の流れに視線をまかせてゐる風に見えた。
彼女は熱い吐息をボアの羽根毛のなかに漏《もら》した。彼女に何物かが潤《うる》んで見えた。何処《どこ》かに生温い涙の匂ひを嗅《か》ぐやうに思つた。明子は眼をつぶつて頸《くび》を縮め、ボアの羽根毛のなか深く顔を埋め込んだ。吐息に蒸されて滴《しずく》を結んだ羽根毛がつめたく鼻のあたりを湿《しめ》した。それが情感の遣《や》り場のない涙の感触に肖《に》てゐたのかも知れない。エクランでは銀色に溶け入るやうな脚をした一人の踊子が、乱れ
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