の激しい発作で卒倒しかけた。突然一つの腕が彼女を支へた。村瀬の腕だつた。明子は村瀬と一つ影になつて失踪《しっそう》した。白痴的なこの最後の芝居が、一つの決定を促《うなが》すことになつた。彼等の失踪の翌夜、伊曾と劉子の情死が行はれたのである。伊曾の手で鋭いメスの一撃が劉子の頸部《けいぶ》に加へられた。劉子の端麗な容貌《ようぼう》が音もなく彼の腕の中で失心して行つた。次《つ》いで伊曾は自らの頸部を切り裂いた。
失踪した村瀬と明子は三の宮駅で家からの追手に発見された。彼等は色を失つた宝石だつた。二人は別々の列車で東京に連れ帰された。途中の寝台車のなかで、明子は自らの肉体の中に或る不思議な他の者の動揺を感じた。胎動《たいどう》に異ひなかつた。それに伴《つ》れて彼女の心臓も思ひ出したやうに苦痛を訴へはじめた。明子はこの時さめざめと泣いた。人々は彼女の不幸を哀れんだ。[#「哀れんだ。」は底本では「哀れんだ」]
人々は何も知らなかつたのだ。明子がはじめての母性の感傷に囚《とら》はれて泣いたのであることも、心臓の苦痛はただ彼女の泣声を昂《たか》めただけに過ぎないことも、彼女の涙が寧《むし》ろ幸福な
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