過ぎないことがはつきりと感じられた。劉子の呪《のろ》ひにかかつて、実際自分が硬い一つのポアンにかじかん[#「かじかん」に傍点]でしまつたやうな気がした。
 村瀬が明子の周囲に現はれはじめたのは丁度《ちょうど》こんな争闘の前後にだつた。彼女は或る会館のプールのふちで、この青年が彼女に近づきたがつてゐるのを発見した。明子は青年の姿を藍《あい》色の層をした水に映して眺めたとき、鼻を鳴らして慕ひ寄る一匹の小犬を聯想《れんそう》した。実際小犬のやうに青年は潔白だつた。だが明子はこの青年に、彼が欲しがつてゐる肉体は与へなかつた。その一歩手まへのものは投げるやうにして早く与へてゐたけれど。青年は従順に彼女の後に従つて来た。明子の女が期待を失しながらも次第に眼を開きかけてゐたのである。
 一方危機は明子の心臓の昂進《こうしん》とともに確実な足どりで近づきつつあつた。それは主として伊曾に起つた新たな欲望に因《よ》るものだつた。伊曾と劉子は日ごとに白い死の方へと堕《お》ちて行つた。
 白い格闘が果てしなく繰返され、つひにある時明子はその最後の徴《しる》しを見た様に思つた。不幸なことに、全く同時に彼女は心臓
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