つてゐた。けれど伊曾としては其処《そこ》に並々でない感受性が現はれてゐることにより多く気を取られてゐた。彼はこの秘密を解く方に殆《ほとん》ど全部の注意を向けてゐたのだ。
急に明子が声を立てて笑ひ出した。今まで彼女につきまとつてゐた憂鬱《ゆううつ》さが消えて、はじめて丸やかな女の肉声をその笑《わらい》に聴くやうに伊曾は思つた。
――何故急にそんなにをかしくなつたんです。
――お憤《おこ》りになつちやいや。本当は真似ぢやないの。画といつたらわたくしお兄さまのしか知らないんですの。展覧会でもお兄さまの画しか見ないんです。べつにさう決めた訳でもないんですけど、自然さうなつちやつたんですもの。
――それでをかしいんですか。
二人は思はず顔を見合つた。
明子はその後もしげしげと伊曾のアトリエに通つて来た。少くとも素描を見て貰《もら》ひに来るのでないことは明かだつた。
そのたび毎《ごと》に伊曾の眼に明子のあらゆる不調和がその度を強めて行つた。同時にその不調和な不思議な方法で次第に整理されて、二つの相反する極に吸ひ寄せられて行くやうに思へた。伊曾は心に分裂直前の生殖細胞のなかで染色体が
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