ち顔に見えるのである。
 すつかり夜になつて、裏山に月が出た。男のかくれてゐる萩のしげみが、さやさやと鳴る。妻はふと、
「ああ風が出た。竜田山の草も木も、さぞ白波のやうにそよぐことだらう。そのなかを、ちやうど真夜中ごろ、あの方は一人でお越えになるのだ」と独りごちた。
 男はどきりとした。恥かしさと、いとほしさが、胸にこみ上げてきた。清らかに化粧した妻の顔が、月かげに濡れてゐるのを、男は吾を忘れて見まもつてゐた。……
 それからのち、男はもう河内の女のところへ、あまり通はないやうになつた。

 それでも時たまは、仕入れの旅の疲れを、高安の女のところで休めることが、ないではなかつた。その女は、はじめのうちこそ念入りに化粧をして迎へるのだつたが、やがてだんだん気をゆるして、男の泊つてゆくやうな晩でも、しどけない細帯すがたで、膝をくずしてゐたりした。
 ある日、ふと前ぶれもなく、その女の家へ寄ることになつて、垣のすきまから何気なしに覗いてみると、女はちやうど食事をするところであつた。例によつて細帯すがたで、横坐りをして、召使もゐないではないのに、手づから杓文字をにぎつて、大きな飯びつから飯をお
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