異相の人物だつたと言ふつもりはない。ただ、もし元亀《げんき》天正《てんしょう》の頃の日本人に見せたら、この老神父もまた、定めしかのウルガン伴天連の如く見えたことだらうと思ふわけである。
さて、そのやうにして南蛮寺門前を辞した私が、無量の感慨に耽りつつ坂道を下り、橋を渡り、道を左へ取つて尚《なお》も散歩をつづけて行くと、やがて日蓮上人辻説法《にちれんしょうにんつじぜっぽう》の址《あと》に差し掛つた。見ればその前に人だかりがしてゐる。通りすがりに横目でうかがふと、円頂|僧形《そうぎょう》の赤ら顔の男が、上人腰掛石の上につつ立ち、何ごとか熱弁をふるふ様子である。傍には、顔色の悪い瘠《や》せた青年が、復員服を着て立つてゐる。青年の右手には、桃太郎の絵にあるやうな白い幟《のぼり》が握られ、白地に紅く、Rといふ字が染めだしてある。
私はそのまま行き過ぎようとした。私は生来、宣伝といふものを好まない。宣伝するのもされるのも、共に嫌ひである。ましてやこれは、場所がらといひ弁士の恰好《かっこう》といひ、てつきり近頃はやりの新興宗教の宣伝にきまつてゐる。尚更《なおさら》のこと興味がない。
ところがそ
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