ゑぢや。それデウス如来はスピリツアル・スブスタンシヤとて無色無形の実体、またサピエンチイシモ(三世了達の智)たり。未だ人間を造らざるに先だち、まづ無量のアンジョ(天人)を造つて、厳にデウスのみを拝さんことを訓《さと》し給《たま》ふ。然るにアンジョの中にルシヘルと云へる者、インテリゲンシヤ(知)に傲《おご》つて慢心を起し、人の生くるはパンのみによる也《なり》と言ひ、己れを拝さんことを衆に勧む。デウス赫怒《かくど》したまひ、ルシヘルこの罪によつてインヘルノに堕《お》つ。これジャボの初めなり。この類《たぐ》ひのジャボ殊《こと》に頗《すこぶ》る当今の貴国に多し。よつて斯《か》くは布教に努む。』愚僧|呵々《かか》大笑、たち所に破して曰《いわ》く―『笑止なりやフルコム、自縄自縛《じじょうじばく》とはこれ汝の返答のことか。もしデウス汝の言の如《ごと》くにサピエンチイシモならば、何とて罪に落つべきルシヘルをば造つたぞ。落つると知つて造りたらば、これ天下第一の悪業なり。また知らずして造りたらば、デウスがサピエンチイシモたるの実いづこにありや。如何《いか》に如何に』と詰め寄れば、フルコム黙然《もくねん》と
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