『猟手』をツルゲーネフの『あいびき』と比較して見たまえ)。そういう彼をやがて危機が見舞った。そして彼の内心の目覚めに応じて、非常な混沌が形式の上にも来た。大体八〇年代末の数年のことである。

 この模索時代の悲痛は、その時期の作品にも手紙にもはっきりと痕《あと》を残している。彼が自国の古典を貪《むさぼ》るように渉猟したのも、そしてゴーゴリに心酔したのもこの時代のことである。荒浪《あらなみ》のような内的要求がともすれば彼を長篇へ誘おうとしたのもこの時代のことである。「小説を書こうとすると、先ず額縁のことで心を労さなければならない。で大勢の主人公や半主人公の中から、唯《ただ》一人――妻なり夫なりを選んで、専らその一人だけを描き、彼を強調さえする一方では、他の人達はまるで小銭のように画面にばら撒《ま》き散らす。すると天《そら》の穹窿《きゅうりゅう》のようなものが出来あがる。一つの大きな月と、それを取り巻いている沢山《たくさん》の小さな星たちと。ところがこの月は成功しない。他の星たちも理解されてこそ初めて月は理解されるのに、星の方は仕上げがしてないのだから」(大意)とは、一八八八年『祝宴』を書
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