いた直後に彼が自分に加えた批判であった。またその翌年には、『オブローモフ』にむかっ腹《ぱら》を立てて、あんな「別に複雑でも何でもない、ダース幾らの小っぽけな性格を、社会的タイプにまで引上げてやるのは勿体《もったい》なさすぎる」とさえ言い放っている。
 月も星たちも丹念に仕上げをされていなければならず、そして月も星たちもともに社会的タイプにまで引上げてやるだけの価値のあるものでなくてはならない。――この要求をみたすに最も適《ふさ》わしい形式が、ツルゲーネフこのかた半世紀を洋々として流れて来ているロシヤ的インテリ小説の伝統の中に見出されることは、更《あらた》めて言うまでもなかろう。彼の作中で一番長篇小説的な風格を帯びている『決闘』(一八九一年)などは、彼が事実この野心につよく惹かされていたことを物語っている。
 だがチェーホフはこうした借着的な形式に永く満足することは出来なかった。彼は独創した。それは先ず大胆に小説的な額縁や構成をかなぐり棄てるところから始まった。その第一歩が、言うまでもなくあの有名な『わびしい話』(一八八九年)なのである。
 ここで、話を進める前に是非とも触れて置かなけれ
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