ろう》にとまっている鴉《からす》の嘴《くちばし》が見えるほどだった。」(『晩花《おそばな》』第二章。同年)
 後者は、晩秋の晴れわたった白昼を描いたものである。下って一八八六年の兄への手紙で彼は、「水車場の土手にはガラス瓶《びん》の破片《かけら》が星のようにきらめき、犬だか狼だかの真黒《まっくろ》な影が転がるように駈《か》け抜けた」と書けば、月夜が出来あがるでしょうと言っている。
 全く同様の発明として擬音の唐突な挿入があるが、重要な点は彼がこうした手法の使い方を実によく心得ていたことである。彼はそれを極めて稀《まれ》に、必須の場合に限って、使用したのである。彼の簡潔主義は一面このような節制を伴っていたのであり、これが彼を奇矯《ききょう》さや、奇矯さから来る退屈さから防いでいたことは明《あきら》かだ。
 しかしそれらは、後年のチェーホフがより磨かれた形で愛用した形式のプリミチヴな萌芽《ほうが》にしか過ぎず、初期の諸作を貫く定まった形式というものはまず見当らぬと言って差支えない。それは屡※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》パロディであり、時に稚い模倣ですらあった(例えば一八八五年の
前へ 次へ
全17ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング