聞いているが、これはそのうち是非《ぜひ》読んでみたいと思う。
だが差当りチェーホフのことに帰ろう。彼の思想的動向の要約という問題から一応離れて、問題を彼の短篇様式の発展ということに限るにしても、一体この隔離そのものが困難なのと同じ程度に、その発展の道にはっきりした道標を置くことは難かしい。仮りにあり来たりの仕方で、彼の作品を初期と後期に分け、そのあいだに隔ての網を張る。しかし魚はこの網をくぐって自由に交通するのだ。
ひと先《ま》ずこれを承知の上で、彼の初期の作品、略※[#二の字点、1−2−22]《ほぼ》一八八六、七年ごろまでの作品を眺めることは勿論《もちろん》可能であるが、そこには大して取り立てて言うほどのこともない。よく知られている如《ごと》く彼は純然たる衣食のために、完全に商業主義的に文を売ることから出発した。あらゆる他の大作家のデビューに見られるものが彼にはなく、逆に彼等に見られないものが彼にはあったということは悲惨な話である。哀しい近代性だ。彼は自己表白の欲望、つまりは青春をすっかり窒息させて置かなければならなかった。その一方商業的要求は、彼に専らユーモアの錬磨や、新鮮な
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