主でした。これに反して父セルゲイ・ツルゲーネフは、貴族とは名ばかりの、ほとんど破産に瀕《ひん》した一《いち》騎兵大佐《きへいたいさ》にすぎず、母よりも六つも年下であるばかりか、その性格も冷やかで、弱気で優柔《ゆうじゅう》で、おまけに頗《すこぶ》る女好きな伊達者《だてしゃ》であったと伝えられています。この女暴君と伊達者との間に生れたのが、イヴァン・ツルゲーネフだったのです。
そうした血統上の痕跡《こんせき》は、何よりも雄弁《ゆうべん》にツルゲーネフの生活(彼は一生涯《いっしょうがい》独身で押し通しました)が物語っているのですが、文芸作品の面から言うと、ここに訳出した短編『はつ恋』に、最もあざやかに現われていると言えます。これは一八六〇年の作で、すなわち『その前夜』と『父と子』の間に位し、ツルゲーネフ中期の円熟した筆で書かれた作品ですが、そこにあざやかに描《えが》き出された一少年の不思議な「はつ恋」の体験のいきさつは、その底に作者自身の一生を支配した宿命的な呪《のろ》いの裏づけがあることを知るに及《およ》んで、一層不気味な迫力《はくりょく》を帯びてくるのを感じずにはいられません。いわばそ
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