《なか》は少《すこ》しも是迄《これまで》と變《かは》らないでは無《な》いか、病氣《びやうき》の數《すう》も、死亡《しばう》の數《すう》も、瘋癲患者《ふうてんくわんじや》の爲《ため》だと云《い》つて、舞踏會《ぶたふくわい》やら、演藝會《えんげいくわい》やらが催《もよほ》されるが、然《しか》し彼等《かれら》をして全《まつた》く開放《かいはう》することは出來《でき》ないでは無《な》いか。而《し》て見《み》れば、何《なん》でも皆《みな》空《むな》しい事《こと》だ、ヴインナの完全《くわんぜん》な大學病院《だいがくびやうゐん》でも、我々《われ/\》の此《こ》の病院《びやうゐん》と少《すこ》しも差別《さべつ》は無《な》いのだ。
然《しか》し俺《おれ》は有害《いうがい》な事《こと》に務《つと》めてると云《い》ふものだ、自分《じぶん》の欺《あざむ》いてゐる人間《にんげん》から給料《きふれう》を貪《むさぼ》つてゐる、不正直《ふしやうぢき》だ、然《け》れども俺《おれ》其者《そのもの》は至《いた》つて微々《びゞ》たるもので、社會《しやくわい》の必然《ひつぜん》の惡《あく》の一|分子《ぶんし》に過《す》ぎぬ、
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