どでは駄目《だめ》だ、又《また》善《よ》い補助者《ほじよしや》が必要《ひつえう》である、然《しか》るに這麼盜人計《こんなぬすびとばか》りでは駄目《だめ》だ。
而《さう》して死《し》が各人《かくじん》の正當《せいたう》な終《をはり》であるとするなれば、何《なん》の爲《ため》に人々《ひと/″\》の死《し》の邪魔《じやま》をするのか。假《かり》にある商人《しやうにん》とか、ある官吏《くわんり》とかゞ、五|年《ねん》十|年《ねん》餘計《よけい》に生延《いきの》びたとして見《み》た所《ところ》で、其《そ》れが何《なん》になるか。若《もし》又《また》醫學《いがく》の目的《もくてき》が藥《くすり》を以《もつ》て、苦痛《くつう》を薄《うす》らげるものと爲《な》すなれば、自然《しぜん》茲《こゝ》に一つの疑問《ぎもん》が生《しやう》じて來《く》る。苦痛《くつう》を薄《うす》らげるのは何《なん》の爲《ため》か? 苦痛《くつう》は人《ひと》を完全《くわんぜん》に向《むか》はしむるものと云《い》ふでは無《な》いか、又《また》人類《じんるゐ》が果《はた》して丸藥《ぐわんやく》や、水藥《すゐやく》で、其苦痛《その
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