とが出來《でき》やう、故意《こい》ならずとも虚僞《きよぎ》を爲《な》しつゝあるのだ。一|統計年度《とうけいねんど》に於《おい》て、一萬二千|人《にん》の患者《くわんじや》を受《う》けたとすれば、即《すなは》ち一萬二千|人《にん》は欺《あざむ》かれたのである。重《おも》い患者《くわんじや》を病院《びやうゐん》に入院《にふゐん》させて、其《そ》れを學問《がくもん》の規則《きそく》に從《したが》つて治療《ちれう》する事《こと》は出來《でき》ぬ。如何《いか》なれば規則《きそく》はあつても、茲《こゝ》に學問《がくもん》は無《な》いのである。哲學《てつがく》を捨《すて》て了《しま》つて、他《た》の醫師等《いしやら》のやうに規則《きそく》に從《したが》つて遣《や》らうとするのには、第《だい》一に清潔法《せいけつはふ》と、空氣《くうき》の流通法《りうつうはふ》とが缺《か》くべからざる物《もの》である。然《しか》るに這麼不潔《こんなふけつ》な有樣《ありさま》では駄目《だめ》だ。又《また》滋養物《じやうぶつ》が肝心《かんじん》である。然《しか》るに這麼臭《こんなくさ》い玉菜《たまな》の牛肉汁《にくじる》な
前へ 次へ
全197ページ中50ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
チェーホフ アントン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング