遂《つひ》に無《む》一|物《ぶつ》の身《み》となつた。
父《ちゝ》の存命中《ぞんめいちゆう》には、イワン、デミトリチは大學《だいがく》修業《しうげふ》の爲《ため》にペテルブルグに住《す》んで、月々《つき/″\》六七十|圓《ゑん》づゝも仕送《しおくり》され、何《なに》不自由《ふじいう》なく暮《くら》してゐたものが、忽《たちまち》にして生活《くらし》は一|變《ぺん》し、朝《あさ》から晩《ばん》まで、安値《あんちよく》の報酬《はうしう》で學科《がくくわ》を教授《けうじゆ》するとか、筆耕《ひつかう》をするとかと、奔走《ほんそう》をしたが、其《そ》れでも食《く》ふや食《く》はずの儚《はか》なき境涯《きやうがい》。僅《わづか》な收入《しうにふ》は母《はゝ》の給養《きふやう》にも供《きよう》せねばならず、彼《かれ》は遂《つひ》に此《こ》の生活《せいくわつ》には堪《た》へ切《き》れず、斷然《だんぜん》大學《だいがく》を去《さ》つて、古郷《こきやう》に歸《かへ》つた。而《さう》して程《ほど》なく或人《あるひと》の世話《せわ》で郡立學校《ぐんりつがくかう》の教師《けうし》となつたが、其《そ》れも暫時《ざ
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