苦痛《くつう》を嘗《な》めて、私《わたくし》が嘗《な》めないといふことではないのです。詮《せん》ずる所《ところ》、苦痛《くつう》も快樂《くわいらく》も移《うつ》り行《ゆ》くもので、那樣事《そんなこと》は奈何《どう》でも可《い》いのです。で、私《わたくし》が言《い》はうと思《おも》ふのは、貴方《あなた》と私《わたくし》とが思想《しさう》するもの、相共《あひとも》に思想《しさう》したり、議論《ぎろん》を爲《し》たりする力《ちから》が有《あ》るものと認《みと》めてゐるといふことです。縱令《たとひ》我々《われ/\》の意見《いけん》が何《ど》の位《くらゐ》違《ちが》つても、此《こゝ》に我々《われ/\》の一|致《ち》する所《ところ》があるのです。貴方《あなた》が若《も》し私《わたくし》が一|般《ぱん》の無智《むち》や、無能《むのう》や、愚鈍《ぐどん》を何《ど》れ程《ほど》に厭《いと》ふて居《を》るかと知《し》つて下《くだ》すつたならば、又《また》如何《いか》なる喜《よろこび》を以《もつ》て、恁《か》うして貴方《あなた》と話《はなし》をしてゐるかと云《い》ふ事《こと》を知《し》つて下《くだ》すつたな
前へ 次へ
全197ページ中128ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
チェーホフ アントン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング