る。が、又《また》直《たゞち》に自分《じぶん》の云《い》ふ事《こと》を聽《き》く者《もの》は無《な》い、其《そ》の云《い》ふ事《こと》が解《わか》るものは無《な》いとでも考《かんが》へ直《なほ》したかのやうに燥立《いらだ》つて、頭《あたま》を振《ふ》りながら又《また》歩《ある》き出《だ》す。然《しか》るに言《い》はうと云《い》ふ望《のぞみ》は、終《つひ》に消《き》えず忽《たちまち》にして總《すべて》の考《かんがへ》を壓去《あつしさ》つて、此度《こんど》は思《おも》ふ存分《ぞんぶん》、熱切《ねつせつ》に、夢中《むちゆう》の有樣《ありさま》で、言《ことば》が迸《ほとばし》り出《で》る。言《い》ふ所《ところ》は勿論《もちろん》、秩序《ちつじよ》なく、寐言《ねごと》のやうで、周章《あわて》て見《み》たり、途切《とぎ》れて見《み》たり、何《なん》だか意味《いみ》の解《わか》らぬことを言《い》ふのであるが、何處《どこ》かに又《また》善良《ぜんりやう》なる性質《せいしつ》が微《ほのか》に聞《きこ》える、其言《そのことば》の中《うち》か、聲《こゑ》の中《うち》かに、而《さう》して彼《かれ》の瘋癲者《ふ
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