い》ふた。『實《じつ》は私《わたし》は負《ま》けたのです。で、奈何《どう》でせう、錢《ぜに》を五百|圓《ゑん》貸《か》しては下《くだ》さらんか?』
 アンドレイ、エヒミチは錢《ぜに》を勘定《かんぢやう》して、五百|圓《ゑん》を無言《むごん》で友《とも》に渡《わた》したのである。ミハイル、アウエリヤヌヰチは未《ま》だ眞赤《まつか》になつて、面目無《めんぼくな》いやうな、怒《おこ》つたやうな風《ふう》で。『屹度《きつと》返却《かへ》します、屹度《きつと》。』などと誓《ちか》ひながら、又《また》帽《ばう》を取《と》るなり出《で》て行《い》つた。が、大約《おほよそ》二|時間《じかん》を經《た》つてから歸《かへ》つて來《き》た。
『お蔭《かげ》で名譽《めいよ》は助《たす》かつた。もう出發《しゆつぱつ》しませう。這麼不徳義《こんなふとくぎ》極《きはま》る所《ところ》に一|分《ぷん》だつて留《とゞま》つてゐられるものか。掏摸《すり》ども奴《め》、墺探《あうたん》ども奴《め》。』
 二人《ふたり》が旅行《りよかう》を終《を》へて歸《かへ》つて來《き》たのは十一|月《ぐわつ》、町《まち》にはもう深雪《みゆき》が眞白《まつしろ》に積《つも》つてゐた。アンドレイ、エヒミチは歸《かへ》つて見《み》れば自分《じぶん》の位置《ゐち》は今《いま》はドクトル、ハヾトフの手《て》に渡《わた》つて、病院《びやうゐん》の官宅《くわんたく》を早《はや》く明渡《あけわた》すのをハヾトフは待《ま》つてゐるといふとの事《こと》、又《また》其《そ》の下女《げぢよ》と名《な》づけてゐた醜婦《しうふ》は、此《こ》の間《あひだ》から、別室《べつしつ》の内《うち》の或《あ》る處《ところ》に移轉《いてん》した。町《まち》には、病院《びやうゐん》の新院長《しんゐんちやう》に就《つ》いての種々《いろ/\》な噂《うはさ》が立《た》てられてゐた。下女《げぢよ》と云《い》ふ醜婦《しうふ》が會計《くわいけい》と喧嘩《けんくわ》をしたとか、會計《くわいけい》は其女《そのをんな》の前《まへ》に膝《ひざ》を折《を》つて謝罪《しやざい》したとか、と。
 アンドレイ、エヒミチは歸來《かへり》早々《さう/\》先《ま》づ其住居《そのすまひ》を尋《たづ》ねねばならぬ。
『不遠慮《ぶゑんりよ》な御質問《おたづね》ですがなあ君《きみ》。』と郵便局長《いうびんきよくちやう》はアンドレイ、エヒミチに向《むか》つて云《い》ふた。
『貴方《あなた》は何位《どのくらゐ》財産《ざいさん》をお所有《も》ちですか?』
 問《と》はれて、アンドレイ、エヒミチは默《もく》した儘《まゝ》、財嚢《さいふ》の錢《ぜに》を數《かぞ》へ見《み》て。『八十六|圓《ゑん》。』
『否《いえ》、然《さ》うぢやないのです。』ミハイル、アウエリヤヌヰチは更《さら》に云直《いひなほ》す。『其《そ》の、君《きみ》の財産《ざいさん》は總計《そうけい》で何位《どのくらゐ》と云《い》ふのを伺《うかゞ》うのさ。』
『だから總計《そうけい》八十六|圓《ゑん》と申《まを》してゐるのです。其切《それぎ》り私《わたし》は一|文《もん》も所有《も》つちや居《を》らんので。』
 ミハイル、アウエリヤヌヰチはドクトルの廉潔《れんけつ》で、正直《しやうぢき》で有《あ》るのは豫《かね》ても知《し》つてゐたが、然《しか》し其《そ》れにしても、二萬|圓《ゑん》位《ぐらゐ》は確《たしか》に所有《もつ》てゐることゝのみ思《おも》ふてゐたのに、恁《か》くと聞《き》いては、ドクトルが恰《まる》で乞食《こじき》にも等《ひと》しき境遇《きやうぐう》と、思《おも》はず涙《なみだ》を落《おと》して、ドクトルを抱《いだ》き締《し》め、聲《こゑ》を上《あ》げて泣《な》くので有《あ》つた。

       (十五)

 ドクトル、アンドレイ、エヒミチはベローワと云《い》ふ婦《をんな》の小汚《こぎた》ない家《いへ》の一|間《ま》を借《か》りることになつた。彼《かれ》は前《まへ》のやうに八|時《じ》に起《お》きて、茶《ちや》の後《のち》は直《すぐ》に書物《しよもつ》を樂《たの》しんで讀《よ》んでゐたが、此《こ》の頃《ごろ》は新《あたら》しい書物《しよもつ》も買《か》へぬので、古本計《ふるほんばか》り讀《よ》んでゐる爲《せゐ》か、以前程《いぜんほど》には興味《きようみ》を感《かん》ぜぬ。或時《あるとき》徒然《つれ/″\》なるに任《まか》せて、書物《しよもつ》の明細《めいさい》な目録《もくろく》を編成《へんせい》し、書物《しよもつ》の背《せ》には札《ふだ》を一々|貼付《はりつ》けたが、這麼機械的《こんなきかいてき》な單調《たんてう》な仕事《しごと》が、却《かへ》つて何故《なにゆゑ》か奇妙《きめう》に彼《かれ》の思想《し
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