さう》を弄《ろう》して、興味《きようみ》をさへ添《そ》へしめてゐた。
彼《かれ》は其後《そのご》病院《びやうゐん》に二|度《ど》イワン、デミトリチを尋《たづ》ねたので有《あ》るがイワン、デミトリチは二|度《ど》ながら非常《ひじやう》に興奮《こうふん》して、激昂《げきかう》してゐた樣子《やうす》で、饒舌《しやべ》る事《こと》はもう飽《あ》きたと云《い》つて彼《かれ》を拒絶《きよぜつ》する。彼《かれ》は詮方《せんかた》なくお眠《やす》みなさい、とか、左樣《さやう》なら、とか云《い》つて出《で》て來《こ》やうとすれば、『勝手《かつて》にしやがれ。』と怒鳴《どな》り付《つ》ける權幕《けんまく》。ドクトルも其《そ》れからは行《ゆ》くのを見合《みあ》はせてはゐるものゝ、猶且《やはり》行《ゆ》き度《た》く思《おも》ふてゐた。
前《さき》には彼《かれ》は中食後《ちうじきご》は、屹度《きつと》室《へや》の隅《すみ》から隅《すみ》へと歩《ある》いて考《かんが》へに沈《しづ》んでゐるのが常《つね》で有《あ》つたが、此《こ》の頃《ごろ》は中食《ちうじき》から晩《ばん》の茶《ちや》の時迄《ときまで》は、長椅子《ながいす》の上《うへ》に横《よこ》になる。と、毎《いつ》も妙《めう》な一つ思想《しさう》が胸《むね》に浮《うか》ぶ。其《そ》れは自分《じぶん》が二十|年以上《ねんいじやう》も勤務《つとめ》を爲《し》てゐたのに、其《そ》れに對《たい》して養老金《やうらうきん》も、一|時金《じきん》も呉《く》れぬ事《こと》で、彼《かれ》は其《そ》れを思《おも》ふと殘念《ざんねん》で有《あ》つた。勿論《もちろん》餘《あま》り正直《しやうぢき》には務《つと》めなかつたが、年金《ねんきん》など云《い》ふものは、縱令《たとひ》、正直《しやうぢき》で有《あ》らうが、無《な》からうが、凡《すべ》て務《つと》めた者《もの》は受《う》けべきで有《あ》る。勳章《くんしやう》だとか、養老金《やうらうきん》だとか云《い》ふものは、徳義上《とくぎじやう》の資格《しかく》や、才能《さいのう》などに報酬《はうしう》されるのではなく、一|般《ぱん》に勤務《つとめ》其物《そのもの》に對《たい》して報酬《はうしう》されるので有《あ》る。然《しか》らば何《なん》で自分計《じぶんばか》り報酬《はうしう》をされぬので有《あ》らう。又《また》今更《いまさら》考《かんが》へれば旅行《りよかう》に由《よ》りて、無慘々々《むざ/\》と惜《あた》ら千|圓《ゑん》を費《つか》ひ棄《す》てたのは奈何《いか》にも殘念《ざんねん》。酒店《さかや》には麥酒《ビール》の拂《はらひ》が三十二|圓《ゑん》も滯《とゞこほ》る、家賃《やちん》とても其通《そのとほ》り、ダリユシカは密《ひそか》に古服《ふるふく》やら、書物《しよもつ》などを賣《う》つてゐる。此際《このさい》彼《か》の千|圓《ゑん》でも有《あ》つたなら、甚麼《どんな》に役《やく》に立《た》つ事《こと》かと。
彼《かれ》は又《また》恁《かゝ》る位置《ゐち》になつてからも、人《ひと》が自分《じぶん》を抛棄《うつちや》つては置《お》いて呉《く》れぬのが、却《かへ》つて迷惑《めいわく》で殘念《ざんねん》で有《あ》つた。ハヾトフは折々《をり/\》病氣《びやうき》の同僚《どうれう》を訪問《はうもん》するのは、自分《じぶん》の義務《ぎむ》で有《あ》るかのやうに、彼《かれ》の所《ところ》に蒼蠅《うるさ》く來《く》る。彼《かれ》はハヾトフが嫌《いや》でならぬ。其滿足《そのまんぞく》な顏《かほ》、人《ひと》を見下《みさげ》るやうな樣子《やうす》、彼《かれ》を呼《よ》んで同僚《どうれう》と云《い》ふ言《ことば》、深《ふか》い長靴《ながぐつ》、此等《これら》は皆《みな》氣障《きざ》でならなかつたが、殊《こと》に癪《しやく》に障《さは》るのは、彼《かれ》を治療《ちれう》する事《こと》を自分《じぶん》の務《つとめ》として、眞面目《まじめ》に治療《ちれう》をしてゐる意《つもり》なのが。で、ハヾトフは訪問《はうもん》をする度《たび》に、屹度《きつと》ブローミウム加里《カリ》の入《はひ》つた壜《びん》と、大黄《だいおう》の丸藥《ぐわんやく》とを持《も》つて來《く》る。
ミハイル、アウエリヤヌヰチも猶且《やはり》、初中終《しよつちゆう》、アンドレイ、エヒミチを訪問《たづ》ねて來《き》て、氣晴《きばらし》を爲《さ》せることが自分《じぶん》の義務《ぎむ》と心得《こゝろえ》てゐる。で、來《く》ると、宛然《まるで》空々《そら/″\》しい無理《むり》な元氣《げんき》を出《だ》して、強《し》ひて高笑《たかわらひ》をして見《み》たり、今日《けふ》は非常《ひじやう》に顏色《かほいろ》が好《い》いとか、何《なん》とか、
前へ
次へ
全50ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
チェーホフ アントン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング