フ いかにも、僕《ぼく》は禿げの旦那だ、それを誇りとしてるんだ!
ワーリャ (くよくよ案じながら)楽隊をやとったりして、払いはどうするつもりかしら? (退場)
トロフィーモフ (ピーシチクに)あなたが一生のあいだに利子を払う金の工面に費やしたエネルギーが、何かもしほかのことに向けられたとしたら、おそらくあなたはとどのつまり、地球をひっくり返すこともできたろうになあ。
ピーシチク ニーチェがね……哲学者の……誰《だれ》しらぬ者もない、えら物《ぶつ》ちゅうのえら物の……あのすごい知恵者がな、その著述のなかで、にせ札は作ってもいいとか言っているが。
トロフィーモフ あなたは、ニーチェを読んだんですか?
ピーシチク いや、なに。……うちのダーシェンカが話してくれたのさ。ところで現在わたしは、ええ一つ、にせ札でも作ってやろうか、といった土壇場《どたんば》でな。……あさって三百十ルーブリ払わにゃならん……百三十はやっとできたが……(ポケットをさわってみて、あわてて)金がなくなった! 金を落したぞ! (泣き声で)どこへ行ったんだろう? (嬉《うれ》しそうに)ああ、あった、服の裏へもぐりこんでいた。……やれやれ、冷汗が出たわい……

[#ここから2字下げ]
ラネーフスカヤとシャルロッタ登場。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
ラネーフスカヤ (コーカサスの舞曲を口ずさむ)レオニードは、どうしてこう遅いのだろう? 町で何をしているのかしら? (ドゥニャーシャに)ドゥニャーシャ、楽隊の人にお茶をあげて……
トロフィーモフ 競売はお流れになったんですよ、きっとそうです。
ラネーフスカヤ 楽隊の来たのも折が悪かったし、舞踏会も生憎《あいにく》の時に開いたものだわ。……まあ、いいさ。……(腰かけて、そっと口ずさむ)
シャルロッタ (ピーシチクにカードを一組わたす)さあ、カードを一組あげましたよ。どれか一枚だけ、頭のなかで考えてください。
ピーシチク 考えました。
シャルロッタ では、よく切ってください。大そう結構。こちらへ頂かしてください、おお、いとしいピーシチクさん。一《アイン》、二《ツワイ》、三《ドライ》! さあ、捜してごらんなさい、その札はあなたの脇《わき》ポケットにあります……
ピーシチク (脇ポケットからカードを取りだす)スペードの八、まさにその通り! (驚嘆して)こりゃ、どうだ!
シャルロッタ (手の平にカードを一組のせて、トロフィーモフに)早く言ってください、一ばん上のカードは?
トロフィーモフ なにさ? じゃ、スペードのクイン。
シャルロッタ はい! (ピーシチクに)では? 一ばん上のカードは?
ピーシチク ハートのエース。
シャルロッタ はい! ……(手の平を打つ、カードの一組きえ失《う》せる)さて、今日はなんていいお天気でしょう! (不可思議な女の声が、さながら床下からひびくように答える、――「ええ、ほんとに、いいお天気ですこと、奥さん」)あなたは、なんとも申しぶんのない、わたしの理想の人よ。……(声、――「わたしも、奥さん、あなたが大好きです」)
駅長 (拍手する)よう、腹話術の名人、ブラヴォー!
ピーシチク (驚嘆して)こりゃ、どうだ! いや、あなたは魔女か妖精《ようせい》か、シャルロッタさん……わしはすっかりあんたに惚《ほ》れましたよ……
シャルロッタ 惚れたですって? (肩をすくめて)あなたに恋ができまして? Guter《グータ》 Mensch《メンシ》, aber《アーバ》 schlechter《シレヒタ》 Musikant《ムジカント》.([#ここから割り注]訳注 ドイツ語。「人はいいが音楽は下手」[#ここで割り注終わり])
トロフィーモフ (ピーシチクの肩をたたいて)まったく、なんて馬だろう、あんたは……
シャルロッタ では皆さん、もう一番、手品をご覧に入れます。(椅子《いす》から格子縞《こうしじま》の膝掛《ひざか》けを取る)これは飛びきり極上の羅紗《ラシャ》でございます、これをお売りいたします……(振ってみせる)買いたい方はありませんか?
ピーシチク (驚いて)こりゃどうだ!
シャルロッタ アイン・ツワイ・ドライ! (おろした布をパッと上げる。布のうしろにアーニャが立っている。彼女は膝をかがめて会釈《えしゃく》をして、母親へ走り寄り、抱擁して、満座熱狂のうちに広間へ駆けもどる)
ラネーフスカヤ (拍手して)ブラヴォー、ブラヴォー! ……
シャルロッタ では、もう一番! アイン・ツワイ・ドライ! (布を上げると、うしろにワーリャが立って、おじぎをする)
ピーシチク (驚いて)こりゃ、どうだ!
シャルロッタ はい、おしまい! (布をピーシチクに投げかけ、膝をかがめて会釈し、広間へ走
前へ 次へ
全32ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
チェーホフ アントン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング