り去る)
ピーシチク (いそいで追いかけながら)この悪者……いやはや! なんという! (退場)
ラネーフスカヤ でも、レオニードはまだね。何を町でぐずぐずしてるんだろう、変だこと! 領地が売れたにしろ、競売がお流れになったにしろ、どっちみちケリがついているはずなのに、なんだっていつまでも知らせてくれないのかしら!
ワーリャ (なだめようと懸命に)伯父さんが落札なすったのよ、きっとですわ。
トロフィーモフ (冷笑的に)なるほどね。
ワーリャ おばあさんから伯父さんへ、委任状が来ましたのよ――おばあさんの名義で買い戻《もど》して、借金は肩代りにするようにって。アーニャのために計らってくだすったんですわ。だからわたし、それが神さまに通じて、伯父さんが落札なさるに違いないと思うの。
ラネーフスカヤ ヤロスラーヴリのおばあさまが、ご自分の名義で領地を買うようにって、送ってくだすったお金は一万五千ルーブリなのよ、――わたしたち信用がないんだわ、――そんなお金じゃ、利子の払いにも足りやしない。(両手で顔をおおう)今日こそ、わたしの運命のきまる日よ、運命の……
トロフィーモフ (ワーリャをからかう)マダム・ロパーヒン!
ワーリャ (怒って)万年大学生! 二度ももう、大学を追い出されたくせに。
ラネーフスカヤ 何をおこるのさ、ワーリャ? この人が、ロパーヒンのことでお前をからかったって、それがなんです? 嫁《い》きたければ――ロパーヒンの嫁になるがいいわ。あれは見どころのある、いい人間だもの。いやなら――嫁《い》かないがいいのさ。誰もお前を、束縛しやしない。……
ワーリャ わたし正直に言えば、このことは真剣に考えていますの。あの人はいい人間で、わたし好きですわ。
ラネーフスカヤ じゃ、嫁《い》ったらいいじゃない。何を待つことがあるの、気が知れないわ!
ワーリャ だって、お母さん、自分であの人に申込みをするわけには行きませんもの。現にこの二年というもの、みんながわたしに、あの人のことを言うの、寄ってたかってね。ところがあの人は、黙っているか、冗談にまぎらしてしまうかですの。それもわかるわ。あの人はますますお金ができて、事業で忙しくて、わたしどころじゃないのよ。もしもわたし、お金があったら、――たとえ少しでも、せめて百ルーブリでもあったら、わたしは何もかもうっちゃって、身をかくしてしまうわ。尼寺へはいってしまうわ。
トロフィーモフ そいつはすばらしい!
ワーリャ (トロフィーモフに)大学生は、も少し利口なものよ! (口調を柔らげて、泣き声で)なんてあなた、風采《ふうさい》が落ちたの、ペーチャ、なんて老《ふ》けてしまったのよ! (もう泣かずに、ラネーフスカヤ夫人に)ただね、こうして仕事をしないでいるのが辛《つら》いのよ、ママ。わたし、一分一秒、何かせずにはいられないの。

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ヤーシャ登場。
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ヤーシャ (やっと笑いをこらえながら)エピホードフが、撞球棒《キュー》を折りました! ……(退場)
ワーリャ なんだってエピホードフがいるの? 誰があれに、玉突きをしろと言いました? あの人たちの気が知れないわ。……(退場)
ラネーフスカヤ あの子をからかわないでね、ペーチャ、ただでさえ、苦労の多い子なんですから。
トロフィーモフ お節介すぎますよ、あの人は、ひとの事にまでくちばしを入れたりして。この夏じゅう、僕もアーニャもじつに悩まされた、――ふたりの間にロマンスでも起りゃしないかと、それがあのひと心配で堪《たま》らないんです。あの人の知ったことですか? おまけに僕は、そんな気振《けぶ》りも見せないのにね。僕はそれほど俗悪じゃありませんよ。われわれは恋愛を超越してるんです!
ラネーフスカヤ じゃ、きっと、わたしは恋愛以下なのね。(はげしい不安に駆られて)レオニードはどうしたんだろう? 領地が売れたかどうか、それだけでもわかればねえ! わたし今度の災難が、あんまり嘘《うそ》みたいだもんだから、何を考えたものやら、見当さえつかずに、ぼおっとしているの。……今にもわたし、大声でわめきだすか……何か馬鹿《ばか》なまねをしそうだわ。わたしを助けて、ペーチャ。何か話をしてちょうだい、ね、何か……
トロフィーモフ 領地が今日売れようと売れまいと――同じことじゃありませんか? あれとはもう、とっくに縁が切れて、今さら元へは戻りません、昔の夢ですよ。気を落ちつけてください、奥さん。いつまでも自分をごまかしていずに、せめて一生に一度でも、真実をまともに見ることです。
ラネーフスカヤ 真実をねえ? そりゃあなたなら、どれが真実でどれがウソか、はっきり見えるでしょうけれど、わたし、なんだか眼
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