[#ここで割り注終わり])がどうしたの、デカダンがどうのって。しかも相手は誰だったの? 給仕をつかまえて、デカダン論をなさるなんて!
ロパーヒン なるほど。
ガーエフ (片手を振って)わたしのあの癖は、とても直らんよ。とても駄目だ……(癇癪《かんしゃく》まぎれにヤーシャに)なんという奴《やつ》だ、しょっちゅう人の前をちらちらしおって……
ヤーシャ (笑う)わたしゃ、旦那《だんな》の声をきくと、つい笑いたくなるんで。
ガーエフ (妹に)わたしが出てくか、それともこいつが……
ラネーフスカヤ あっちへおいで、ヤーシャ、さ早く……
ヤーシャ (ラネーフスカヤ夫人に巾着をわたす)ただ今まいります。(やっと噴きだすのをこらえて)はい、ただ今……(退場)
ロパーヒン お宅の領地は、金満家のデリガーノフが買おうとしています。競売当日は、大将自身が出馬するという話です。
ラネーフスカヤ どこでお聞きになって?
ロパーヒン 町で、もっぱらの評判です。
ガーエフ ヤロスラーヴリの伯母さんから、送ってよこす約束なんだが、いつ幾ら送ってくれるつもりか、それがわからん……
ロパーヒン 幾ら送ってよこされるでしょうかな? 十万? それとも二十万?
ラネーフスカヤ そうね……一万か――せいぜい一万五千、それで恩にきせられて。
ロパーヒン 失礼ですが、あなたがたのような無分別な、世事にうとい、奇怪千万な人間にゃ、まだお目にかかったことがありません。ちゃんとロシア語で、お宅の領地が売りに出ていると申しあげているのに、どうもおわかりにならんようだ。
ラネーフスカヤ 一体どうしろと仰《おっ》しゃるの? 教えてちょうだい、どうすればいいの?
ロパーヒン だから毎日、お教えしてるじゃありませんか。毎日毎日、ひとつ事ばかり申しあげていますよ。桜の園も、宅地も何も、別荘地として貸しに出さなければならん、それを今すぐ、一刻も早くしなければならん、――競売はつい鼻の先へ迫っている、とね! いいですか! 別荘にするという最後の肚をきめさえすれば、金は幾らでも出す人があります、それであなたがたは安泰なんです。
ラネーフスカヤ 別荘、別荘客――俗悪だわねえ、失礼だけど。
ガーエフ わたしも全然同感だ。
ロパーヒン わたしはワァッと泣きだすか、どなりだすか、それとも卒倒するかだ。とても堪《たま》らん! あなたがたのおかげで、くたくたです! (ガーエフに)あなたは婆《ばば》あだ、まるで!
ガーエフ なんとね?
ロパーヒン 婆あですよ! (行こうとする)
ラネーフスカヤ (おびえて)いいえ、行かないでちょうだい。ここにいて、ねえ。後生だから。何か考えつくかもしれないもの!
ロパーヒン 今さら、なんの考えることが!
ラネーフスカヤ 行かないで、お願い。あなたがいると、とにかく気がまぎれるわ。……(間)わたし、しょっちゅう、何かあるような気がしているの――今にもわたしたちの頭の上に、家《うち》がどさりと崩れてきでもしそうな。
ガーエフ (沈思のていで)空《から》クッションで隅《すみ》へ。……ひねって真ん中へ……
ラネーフスカヤ わたしたち、神さまの前に、あんまり罪を作りすぎたのよ……
ロパーヒン なんです、罪だなんて……
ガーエフ (氷砂糖を口に入れて)世間じゃ、わたしが全財産を、氷砂糖でしゃぶりつくしたと言っているよ……(笑う)
ラネーフスカヤ ああ、わたし罪ぶかい女だわ。……まるで気ちがいみたいに、方図もなくお金を使いまわす癖がある上に、借金するほか能のない男にとついだんです。その夫は、シャンパンがもとで死にました――お酒に目のない人でしたからね。そのうえまた不幸なことに、わたしはほかの男を恋して、一緒になったの。すると、ちょうどその時、――これが最初の天罰で、真っ向からぐさりと来たのが、――ほら、あすこの川で……坊やが溺《おぼ》れ死んだことでした。そこでわたしは、外国へ発《た》ったの。発ちっぱなしで、もう二度と帰ってはこまい、あの川も見まい、とおもってね。……わたしが眼《め》をつぶって、無我夢中で逃げだしたのに、あの人[#「あの人」に傍点]は追っかけてきたの……情けも容赦もなくね。わたしがマントンの近くに別荘を買ったのも、あの人[#「あの人」に傍点]があそこに病みついたからで、それから三年というもの、わたしは夜《よ》も日もホッとするひまがなかった。病人にいびり抜かれて、心がカサカサになってしまいました。とうとう去年、借金の始末に別荘が人手にわたってしまうと、わたしはパリへ行きました。そこで、わたしから搾《しぼ》れるだけ搾りあげた挙句《あげく》、あの人はわたしを捨てて、ほかの女と一緒になったの。わたし毒をのもうとしました。……われながら浅ましい、世間に顔向けならない気がしてね。……ところ
前へ
次へ
全32ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
チェーホフ アントン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング