り柵について歩いてみたりしながら、その機会を待ち受けていた。見ていると、一人の乞食が門内へはいって行って犬に吠えつかれた。やがて一時間ほどすると、ピアノの弾奏が聞こえて、その音色が微《かす》かにおぼろげに伝わって来るのだった。きっとアンナ・セルゲーヴナが弾《ひ》いているのに違いない。表玄関の扉が突然あいて、そこからお婆さんが一人出て来たが、その後からちょこちょこついて来るのは、例のお馴染みの白いスピッツ犬だった。グーロフは犬の名を呼ぼうとしたけれど、急に動悸がしはじめて、興奮のあまり小犬の名が思い出せなかった。
なおもぶらぶらしているうちに、彼は刻一刻とその灰色の柵が憎らしくなって来た。そして今ではもう苛々《いらいら》した気持で、アンナ・セルゲーヴナは自分のことなんか忘れてしまっているのだ、もしかするともう他の男を相手に遊びまわっているかも知れない、がそれも朝から晩までこの忌々《いまいま》しい柵を眺めて暮さなければならない若い女の身にしてみれば至極無理もない話だ、などと考えるのだった。彼はホテルの部屋へ帰ると、どうしたものかと途方に暮れながら長いことソファに掛けていたが、やがて昼食を
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