像がついているが、その首は欠け落ちていた。入口番が彼に必要な予備知識を与えてくれた。曰《いわ》く、フォン・ヂーデリッツはスタロ・ゴンチャールナヤ街の自分の持家に住んでいること、曰く、それはホテルから遠くないこと、曰く、なかなか羽振りのいいむしろ豪勢な暮しぶりで、自家用の馬車もあるし、この町で誰ひとり彼を知らない人はないこと。その入口番はドルィドィリッツと発音していた。
 グーロフは別に急ぐ様子もなくスタロ・ゴンチャールナヤ街へ歩いて行って、めざす家をみつけ出した。ちょうど家の真ん前には灰色をした長い柵《さく》が連なっていて、釘が植えてある。
『こんな囲いなんか逃げ出せるさ』とグーロフは、窓と柵とをかわるがわる睨《にら》みながら、心のなかでそう考えた。
 彼は色々と思いめぐらすのだった。――今日は役所が休みだから、良人はきっとうちにいるだろう。いやそれはいずれにせよ、家《うち》へあがり込んでどぎまぎさせるのは、あまり気の利いた話ではない。かと言って手紙を持たせてやれば、良人の手にはいるかも知れず、そうなったら万事休すである。最上の策は機会を待つことだ。そこで彼は気ながに通りをぶらぶらした
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