近所に誰もいない隙をみては、彼はいきなり女を抱き寄せて熱い接吻をしてやった。まったくの有閑三昧《ゆうかんざんまい》、誰かに見つかりはしまいかと四辺《あたり》を見まわしながらびくびくものでする昼日中の接吻、炎暑、海の匂い、絶えず眼さきにちらちらしている遊惰でおしゃれな腹いっぱい満ち足りた連中、そうしたもののおかげで彼はまるでがらり別人になった観があった。彼はアンナ・セルゲーヴナに向かって、君はじつに美人だ、じつに魅惑的なひとだなどと言い言いし、燃えさかる情熱にいても立ってもおられず、彼女の傍を一歩も離れなかったが、いっぽう彼女の方はともすれば物思いに沈みがちで、あなたはわたしを尊敬してはいないのだ、ちっともわたしを愛してなんぞいないのだ、わたしをただ下等な女としか見ていないのだ、そうならそうときれいに白状なさいと、のべつにせがみ立てるのだった。ほとんど毎晩のように、少し遅目に二人はどこか町の外へ、オレアンダや滝の方へ馬車で出掛けて行ったが、そうした散歩は上乗の首尾で、印象はその都度きまって素晴らしい崇高《すうこう》なものだった。
彼らは良人が来ることとばかり思っていた。ところが彼から手
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