て、苦力どもを指揮したんです。はじめ請負でやらさうと思つたところが、親方が金を払はないといふんで、みんな逃げちまつた。それでしかたがない、ひとりひとり、わしがぢかに金を払つた。追撃部隊が、橋の出来上るのを待つてるんですぜ。気が気ぢやない。まるで死に物狂ひです。わしがこれで現役なら金鵄勲章だ――さう言つて、参謀に褒められましたよ」
 私だつて、いくらでも褒めてあげたい。しかし、愚図愚図してゐると汽車に乗りおくれる。向ふむきの貨物列車が、すぐ眼の前で、煙を吐いてゐるのである。
 どの貨車も予約済みとのことで、○○部隊一行は機関車の上へ乗ることになつた。石炭と同居である。私は、隙をみて一つの貨車へ飛び乗つた。その車は大部分○○材料で埋まつてゐたが、隙間隙間に、兵隊さんが蹲んでゐた。
「まだ乗れるか?」
 外で声がする。
「もう乗れん乗れん、満員だ」
 誰かが応へる。
 ふと横をみると、女が一人、ぢつと坐つてゐる。和服の上に男物のレーンコートを着て膝に風呂敷を抱いてゐる。女は顔をあげた。
「おや、君は……」
「えへゝゝ」
「ひとり?」
 彼女は、笑顔のまゝうなづいた。
 保定城外の「野戦カフエー」で満洲小唄を歌つてゐた女の一人であつた。
「大変だね。何処まで行くの?」
「わからんですたい。おかみが癪にさはつたから跳び出して来た」
「あゝさうか。あの晩、夜中に大きな声で怒鳴つてたのは、君だね?」
「聞いとんなさつた?」
「だつて、僕は、隣の部屋に寝てたんだもの」
「あら、ほんと?」
「君は満洲から来たの?」
 それにはなんとも答へず、彼女は、風呂敷をほどいて梨を二つ三つ取り出した。
「わしや朝ごはんを食べとらんと……」

     石家荘

 兵士たちは、実に無口である。貨物列車のなかは、一方の戸が開けてあつても、光は隅々まで行き亘らない。それにしても、一女性の存在が、彼等をかくまで謹厳にしてしまつたのであらうか? みんな、それぞれに照れてゐるのである。
 女は、最後の梨を私が貸したナイフと一緒に私の方へ差出した。
「まあ、とつとき給へ。そのうちにまた腹が空くよ」
「うゝん、お昼の分は、ご飯をこゝに持つてるから……」
 さう云つて、ボール箱を叩いてみせた。
 折角の好意であるが、私はその梨がなんだか衛生的でないやうに思ひ、ナイフだけを受けとつてポケツトへしまつた。
「僕は、支那の梨はどうも……」
 すると、彼女は、自分の隣りにゐる兵隊の鼻先へ黙つてそれを突きつけた。
 兵隊は、ちよつと面喰つたやうに顔を引き、女の顔と私の顔とを見くらべ、更に、前後左右を振り返つて、にやにやと笑つた。
 車中は、一つ時緊張したやうに見えた。わざと素知らぬ風を装ふものもあつた。それを機会に、欠伸をするものもあつた。誰もなんとも云はないのは、どうしたわけか?
 しかたがなしに梨を受け取つた兵士は、それでも、うまさうに齧つた。一口齧つては、うふゝゝと笑つた。子供が二三人もゐさうな年輩である。
 正定に着いた。
 さつきから、夥しい支那兵の屍体が眼につく。最近に夜襲でもあつたか。とにかく、正定と云へば、保定にまさる激戦の跡である。話に聞くと、保定の占領は、全ジヤーナリズムがその筆力を集注したわりに、あつけない戦闘であつたのに反し、正定の方は、その後をうけて、ニユースが幾分省略された傾きがあるらしい。が、事実は、これこそ、河北進軍のクライマツクスとも云ふべき大決戦であつたとのことである。
 軍事専門家がこれをどう扱ふか、そこまでのことは私にはわからぬ。ただ、作戦の規模と攻撃の難易を別にして、更に戦場としての名を高からしめる若干の条件を数へることができるやうに思ふ。
 美しい塔が城壁の上に聳えてゐる。その昔日本の僧侶某がこゝで修業をしたといふ寺がある。さういふことをもつと詳しく知つてゐたらと思ふ。
 正午、石家荘にはひる。
 大きな駅である。しかも、全体に近代的な都市を思はせる設備がみられ、駅前の道路には、事務所風の西洋建築がたち並んでゐる。往き遇ふ兵士の数も多いが、こゝへ来ると、流石に第一線部隊の眼つきを感じさせる。
 歩哨があちこちに立つてゐる。
 この町には城壁といふものがない。駅から町の中心に通ずる道路を、われわれは急きたてられるやうにして歩いた。
 鉄道線路の上の陸橋が、爆弾で半分飛んでしまつてゐる。危いぞと思ひながら、その上を渡つた。
 メーン・ストリートである。おほかた平家ではあるが、相当の店が軒を並べてゐる。骨組は支那式で、飾窓や扉には洋風の趣を取り入れてあるのもある。店を開けてゐる家は至つて稀であるが、道端で煙草や果物を売つてゐる支那人は、どれもこれも、保定などと違つて、人ずれのした顔が多い。ひつきりなしにトラツクが通る。徒歩部隊も通る。伝令らしい自転車兵も通る。将校の往き来が目立つ。
 ○○機の一編隊が低空をかすめて南に飛ぶ。
 街は沸き上り、燃え立つてゐる。

     ○○○司令部

 私は、こゝでしばらく足跡を曖昧にせねばならぬ。○○部隊一行と袂を分つて、いよいよ単独行動を取ることにした。
 その前に、今夜万一宿に困るやうだつたらといふので、堀内氏は、わざわざ、私に○○部隊本部の所在を教へておいてくれたのである。
 道みち頭をなん度もさげ、埃をいやといふほどかぶり、全身汗になつて、私はやつと目的の場所に行きついた。
 珍しく樹の茂つた村のなかである。そしてまた珍しくハイカラな洋館である。鉄柵を繞らした官庁風の構へも野戦軍の中枢に応はしい。
 衛兵所の前を通つて、建物の正面に立つと、アーチ形の玄関を距てゝ、泉水のある中庭が見え、この庭を中心に、廊下を繞らした二階が四方からのぞいてゐる。
 私は、左手の階段を上つて行つた。
 突きあたりが副官室である。
 名刺を差出して、H部隊長に取次を乞うた。
 その名刺をぢつと見てゐた副官は、
「失礼ですが、四十八にをられた岸田さんぢやありませんか?」
 と、馴れ馴れれしく椅子から起ち上つた。
「さうです」
「自分はやはり四十八にをりましたKであります」
 もちろん私とは時代が違ふらしいが、同じ聯隊の出身といふことは軍人同士にとつては格別なものなのである。
 H部隊長に敬意を表したいと思つたのは、私が嘗て巴里滞在中、国際聯盟の仕事でしばらく同じオフイスにゐたことがあるからである。ところが、生憎、今、会議の最中とあつて、私はT高級副官の室へ案内された。
 承徳の総攻撃が目下準備されつゝあること、娘子関方面の敵がなかなか頑強であることなど聞きかじつてゐたので、差支ない限り詳しい情報を得たいと思つたが、話はわきへ外れた。といふのは、所謂戦場ニユースに関する軍人としてのT氏の意見がなかなか面白く、時局ジヤーナリズムに対する適切な批判を含んでゐると思はれたので、私も図に乗つて、自分の考へを率直に述べた。
 会議はなかなか済みさうもない。
 私は、強ひて部隊長に会ふ必要はないのだが、われわれが幼年学校にゐる時分から、ウルトラ・秀才として殆ど伝統的な存在であつた「×期のH」の大部隊長ぶりをちよつと見ておきたかつたのである。
 しかし、こゝで時間を空費してはならぬ。
 私は、T氏に暇を告げ、K副官に謝意を表し、H部隊長の健康を遥かに祈りつゝ、司令部の門を出た。
 さて、これからの行動は?
 承徳の攻撃がまだ始まらぬとすれば、寧ろ井※[#「こざとへん+徑のつくり、第3水準1−93−59]まで進出して、娘子関の嶮を一目見ておくのもよからう。が、交通の便はどうなつてゐるか? それを確めておけばよかつた。
 ○○部隊にくつついて邯鄲あたりまで行つてみるのもまたひとつの方法である。しかし、これは往復一週間をみておかねばならぬ。予定通りにいつても、それでは北京に寄る暇がなくなる。こゝまで出掛けて来て北京を素通りといふのはちと話にならぬ。
 なんとかして大砲の音ぐらゐ聞けないものか。
 ふとこの時頭に浮んだのは、○○機で戦線の上を飛ぶことができたらといふことであつた。
 それには、○○部隊長がこの辺にゐる筈だ。是非会つて相談してみよう。従軍記者の資格は多分ものを言ふであらう。同期生の誼みで更に無理が利きはすまいかと、私はひとりぎめにきめてしまつた。

     志士の群

 石家荘の大通りを――大通りと云つても道幅は三間あるかないかだが――北へちよつとはひると、右側に「靖郷隊本部」といふ札がかゝつてゐる。相当の構へをした支那風の住宅であるが、門をはひると、保安隊の巡警が歩哨に立つてゐる。
 例によつて屋敷は幾棟にも分れ、食堂にあてられた一室に私は案内された。
 卓子を囲んで、七八人の日本人が、賑かに食事をしてゐた。
 堀内氏は何処かへ出掛けてまだ帰つて来ない。
 一座の人々に紹介される。隊員のほかに、本願寺の従軍僧A氏、軍の通訳官I氏、同盟通信記者M氏、自ら「浪人」と称するW氏などである。
 さう云へば、堀内氏も自分のことを「われわれ浪人もん」と云つてゐる。誰が作りだした言葉か、昔から聞く言葉であるが、これを私は、「支那に志を有する人々」の意に解しておく。
 恐らく何に譬へやうもない、これら愛国的ヴァガボンドの平生について、私は些かも知るところはないが、彼等が日本を狭しとする理由は、その言動に徹して十分察せられるやうに思ふ。
 政治的或は文化的領域に於ける伝統的なその役割について、私はいまこれを取りあげて論じるつもりはない。
 たゞ、飽くまでも、時代の風貌をもつて、与へられた部署に活躍する性格的興味が、私をとらへて放さないばかりである。
 試みに隊員の一人M氏の自ら語るところを聴かう。
「わたしは支那の女を女房にしてゐます。北京にはもう二十年ゐますが、少しは御国のために働いたつもりです。女房が支那人だといふことは、わしが支那で仕事をする上の必要条件です。北京でMと云つて下さればわかりますが、これで見かけよりは信用がありますから」
 見かけはどうして、堂々たる紳士である。次に、自称「浪人」W氏、曰く、
「僕ですか、僕は別にこれといふ任務はないんです。ひとつ、これから黄河を渡つて、支那の真ん中に独立国でもこしらへようと思つてゐるんですが、うまく行きますか、どうか……。単身敵地へ乗り込んで行つての仕事ですから、下手をすれば生きては帰れません。文芸春秋はいつも愛読してゐます。文学のことはよくはわからんです。といふのは、少しは齧つてゐるといふことで、そのへんの連中とは違ひます。僕は、嘗て○○○の手記といふのを読んで感心した。○○軍を率ゐて南北を馳駆した時代のすばらしい記録です。内容も面白いが、文章がまた名文です。名文だと思ふんです、僕は……。それで、そいつを、仲間の川村といふ男と一緒に訳しかけてみたんです。川村といふのは、ほら、ご存じだと思ひますが、北京で桜井中佐の通訳をしてゐて、事変のはじめに戦死しましたな、あの男ですよ。僕は、そいつを川村の名で本にして出さうと思ひましたが、途中でこんなことになつたものだから、そのまゝで抛つてあります。ひとつ、お思召があつたら、それをなんとかして世に出して下さい。若し、いくらか金にでもなるやうでしたら、川村の遺族に送つてやつて下さればよろこぶでせう。原稿は北京にあります」
 と云つて、アドレスを附け加へた。
 みな相当に酔ひが廻つてゐる。従軍僧のA氏をつかまへて、「生臭坊主」と呼ぶものがあり、A氏は眼の縁を赤くして戦帽の庇を押しあげた。
 やがて食事が終らうとする頃、堀内氏が帰つて来た。
 新たな命令を受けて来たらしい。
 隊員は、早くそれを知りたがつた。
 が、彼は、先づ椅子を引き寄せて、静かに席に就いた。と、思ふと、いきなり、手袋をつかんで食卓の上に叩きつけた。
「××がやられた」
「××が……?」
 一同は、眼をみはつた。
「△△も死に、また××もやられたとなつたら、あとはどうなるんだ。わしがゐないのがわるかつた。無茶をやりよつたに違ひない。惜しいことをした」
 堀内氏は泣いてゐるのである
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