北支物情
岸田國士
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)戦《いくさ》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「こざとへん+徑のつくり、第3水準1−93−59]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ドカン/\と
−−
旅行前記
今度文芸春秋社が私に北支戦線を見学する機会を与へてくれたことを何よりもうれしく思ふ。
特派員といふ名義であるが、私のやうなものがジヤアナリストとしての使命を果し得るかどうか疑問である。この点は、社でも多くの期待はかけてゐないらしいから、甚だ肩の荷が軽いわけである。
私は、むろん、作家として眼近に戦争現地の面貌を凝視し、そこに想像を絶した天地の呼吸を感じるであらう。その印象をなるべく具体的に細かくノートするつもりである。
こゝで断つておきたいのは、私がどれほど「客観的」であらうとしても、それは恐らく無駄であらうといふことである。云ふまでもなく、私は「日本人として」此の戦争に対する外はないからである。現実の報告が国家のためにも国民のためにも害あつて益なき場合、私はたゞ沈黙するのみである。第一に、私はこの戦争が先づ何よりも祖国に幸ひをもたらすものであることを祈る。犠牲はたゞそれのみによつて尊いのである。
戦塵を浴びてはじめて疑問のはれることもあるであらう。私は軍人の家に生れ、自分も軍人として青年期を過し、今なほ在郷軍人としての覚悟はもつてゐる。私は、日本の軍隊が精鋭無比である理由を夙に学び知つてゐるが、日本人の性能プラス軍人精神といふものが実戦に於てどんな力を発揮するかといふことを、いろんな面で観察してみたい。つまり心理的にはその複雑さについて、道徳的には例へば勇気の質について、若干の考察をめぐらすことができるであらう。
北支作戦の完全な成功をわれわれは信じてゐる。戦後に来るものはなにかといふことについて、今、人々は多く語つてゐるやうであるが、私には無論、そんなことを語る資格はない。たゞ、それぞれの専門家の言葉に耳を傾ける興味をもつてゐるだけである。従つて、私の眼で視、暇があれば適当な人物に訊して、現在この地方に動きつゝあるものを探り得るとすれば、それは、単に、日支両国民の共通の希望となるべき将来の文化的工作が如何なる意図と方法によつて築かれつゝあるかといふことである。
この報告は、努めて厳正に且つ自由になされなければならぬと私は思ふ。国を挙げての決意と無名戦士の幾多の血によつて購ひ得たひとつの結果について、わが同胞は等しく責任を分たねばならぬからである。
私の比較的親しくしてゐた友人の幾人かゞ相次いで召集に応じ、何れも立派な門出であつた。彼等のうちの三人が、つい二三日前、殆ど日を同じくして二人は戦死し、一人は重傷を負つた。感慨無量である。
北支各方面の戦線に活躍しつゝある部隊名を、新聞で毎日のやうに見る。幼年学校や士官学校で机を並べてゐた連中が、それぞれもう聯隊長級で、軍記風に云へば、駒を陣頭に進めてゐることがわかつた。さぞ満足であらうと思ふ。
幸ひに便を得て、これらの旧同僚の後を追ふことができたら、是非、その機会を逸すまい。手柄話を聴くのも面白からうが、陣中閑談に時を過したら一層妙である。「貴様、戦《いくさ》の邪魔をしに来たか」などと云はせてみたい。
私は先日来、若い学生たちに接する毎に次のやうな問ひを発した。
「君が若し北支に派遣されたとしたら、どういふところを一番看て来たいと思ふか?」
彼等はめいめいに面白い、或は平凡な意見を吐いたが、左の二項だけは、異口同音に、殆ど全部がこれをあげた。そのひとつはわが軍奮戦の実況、もうひとつは日本軍を迎へる支那民衆の表情。
前者は、当り前のことゝして別に取りたてゝ云はないものもあつたが、後者は、これこそ、いろいろなニユアンスを含めて例外なく知りたがつてゐる事実であることがわかつた。
そこで、私が痛切に感じたことは、新聞の報道が如何に統制されてゐても、その統制され方によつては、銃後の国民は却て報道の裏を知りたがるものだといふことである。
さういふ私自身、決してその裏をのぞかうなどといふ好奇心はなく、また、そんな裏があらうとは信じないが、宛も秘すべき裏があるかの如き印象を与へる一面的な誇張粉飾は、将来、報道者も慎まなければならぬと思ふ。民衆は案外、ものを正しく感じ、意味を深く察する能力をもつことを銘記すべきであり、早く云へば、それほど御心配には及ばぬのである。
私は、外国の観戦武官(現在さういふものがあるかどうか知らぬ)といふものが、どんな顔をしてこの連日の戦闘を眺め暮してゐるか、できれば、そばへ行つてその顔つきをのぞいてやりたい。
それから、音にきく北京の都を、その風物を、ゆつくりとはいかぬまでも、しみじみと訪れたい。
保定、大同、徳州などいふ城市も一見の価値があらう。
石家荘とやらはもう落ちてゐるかどうか。
虎列剌の予防注射をすませた。
十一日の正午神戸を出る塘沽行の船に、もう部屋がとつてある。(十月十日夜)
いよいよ報告をつゞらねばならぬ。が、私は一切の興奮と御座なりを避け、事実を観たまゝに語りたい。ところが、実を言ふと、第一に、暇が十分でなかつたからでもあるが、予定の行動を取ることができず、第二に、少しは何かを観たとは思ふが、いざそれを筆にするとなると、どうしても、今書くのは早過ぎるといふ気がし、それも自分のためばかりではなく、印象がすべて厳粛な歴史の批判を根柢とせねばならぬ関係から、主観的な物言ひは慎まねばならぬといふ、甚だ厄介な責任感にしばられてしまひ、平凡な記事でお茶を濁すことになりさうだ。
殊にもうひと息といふところで、なんとしても時間の都合がつかず、それに、身心ともに疲労を覚えたので、所謂、「戦闘」そのものはつひに見ずじまひである。が、たゞ、広義の「戦争」なるものを、いろいろな面でいろいろな距離から、そして、いろいろな現象のなかで、身を以て味ひ、幾分実感として心の一隅に残し得た。これをせめてもの収穫と考へ、なんとかして読者諸君に伝へたいと思ふのだが、さて、前にも述べた通り現在はまだその時機でないやうである。
なぜなら、戦さに勝つためには、国民は、ひたすら戦場の光景を美化することに努め、私もまたそれに努力することを任務と考へるからである。
そして、私は、戦争の最も華々しき、従つて人間及び人間群の最も気高き姿を、第一戦の砲火の下に見得ることを確信するものであるから、銃後の国民は、その緊張した心の状態を、全ニユースの先端に通はせて、共に祈りを捧げ、凱歌を奏すればよいのである。
例へば、後方勤務部隊の軍規厳正にして、日夜油断なく職責を果し、時としては、第一線部隊の労苦に劣らざる労苦に堪へ、時としては、決死隊と同様、生命の危険を物とせざる実例など、私はいくらでも挙げようと思へば挙げられるが、それは、国民一同が、所謂非常時局に処して、如何にそれぞれの持ち場で黙々と額に汗し、最後の勇気を振ひつゝあるかを吹聴すると同様、今更云ふも愚かといふ気がするのである。
そこで、私は土産話になるかどうか知らぬが、私の僅か旬日の間に通つた道筋を追つて、いくらかでも戦争の臭ひのする人物風景の素描を試みてみようと思ふ。
文辞甚だ整はないのは、行李を解いたばかりで旅の疲れがまだ癒えないためと思つていただきたい。
出帆
船が神戸を出る時、私はなるほどこれが天津に向ふ船だなと思つた。
甲板には軍装いかめしい将校がいくたりかテープの束を握つて桟橋を見おろしてゐる。カーキ色の詰襟に袈裟をかけた従軍僧の一団が、これも不動の姿勢で見送人の歓呼を浴びてゐる。
「××部隊長万歳!」
群衆のなかの一人が音頭を取つた。
「万歳……万歳……」
これに和した幾百の若い声はひと眼でそれとわかる中学生らしい制服の一隊である。恐らくその学校の配属将校がこの船で戦地にたつらしい。
船が動き出してから、岸壁が見えなくなるまで、生徒たちは「万歳」を連呼し、帽子と旗を振り、そのたびごとに甲板では一砲兵少佐が挙手の礼でこれに応へてゐた。
外国人の男女が、私のそばでこの光景を珍しさうに眺めながら、切《しき》りに何か囁き合つてゐる。
突然、従軍僧の一人が、両手を挙げて、声を限りに叫んだ。
「天皇陛下万歳!」
岸壁の人影は黒い塊りのやうに動かない。そして、それがそのまゝ船の反対の舷の方へ消えて行つた。
私はしばらく甲板を歩き廻つた。自分に用意を促すといふやうな気持であつた。
英国士官
船室へはひつて、北支那の地図をひろげてみた。上陸後の行動について、あらましのプランを樹てゝおくつもりであつた。往復をいれて三週間といふ時日が限られてゐる。それ以上の暇は、絶対にとれない今の私である。万一の事故は計算にいれないまでも、この予定を勝手に狂はしては、第一に近く旗挙げ公演を控へてゐる文学座の諸君に相すまぬ。
先づ天津に着いたら、各方面の情報をしらべた上、一番近い戦線を目ざすよりほかない。が、私の秘かに自分に与へた任務は、恐らく第一線の後方数キロの一地点に、三日ばかりぢつと腰をすゑてゐさへすれば果せるのではないか?
新楽、石家荘、井※[#「こざとへん+徑のつくり、第3水準1−93−59]といふやうな地名が眼にうつる。
その時、同室の若い英国人がはひつて来た。話をしてみると、日本語がなかなかうまい。名刺には、ローヤル・アーチレリイ、即ち、王国砲兵とある。階級は中尉で、語学研究のため日本に派遣されたのださうである。
「で、今度は観戦武官といふわけですか」
「はい、まあ、さうです。実は、日本語の試験が迫つてゐるので、気が気でありません。試験に落ちると大変です。国へ返されてしまひます」
「王国砲兵《ローヤル・アーチレリイ》といふのは、日本の近衛砲兵と同じですか」
「いえ、英国では、砲、工、輜重の特科はみなローヤルといふ名誉の呼び方をします。歩兵と騎兵は、三分の一ぐらゐの聯隊がローヤルです」
「観戦武官は、あなたの外にどんな国の将校たちが今度出掛けますか?」
「この船で、米国、ポーランド、ペルウ、シヤムの人が行きます。現地で多分、フランスなどが加はるでせう」
「君は、今度の旅行で、どういふところを注意して見られるつもりですか?」
「戦争は、どんな戦争でもおんなじです。私、北京といふ都、いちばん見たいと思ひます」
私は、この青年をつかまへて、支那事変に対する英国の態度まで釈明させる気はしない。
「日本語の試験は誰がするんです?」
「大使館の人です」
「先生は?」
「先生、三人ゐて、個人教授をうけてゐます」
ベツドの上に例の艶のいゝ帯革がかゝつてゐるので、
「英国ではいゝ革ができるんですね」
「はい、英国の革、有名です。専門家が代々特別な技術を受けついで作つてゐます。それにこの革は古いからなほいゝのです。私の父も砲兵将校でした。その父から貰ひました」
「日本で隊附はされましたか?」
「高田の聯隊に一年ゐました」
「聯隊長は誰でした?」
「○○大佐です。聯隊の生活は、面白いですけれども、隊附の将校は一般に、いゝ語学の先生ではありません」
「それやさうでせう。訛りや方言を何時の間にか教へ込まれますからね」
「いゝえ、第一に、間違つたことを言つても直してくれませんから……」
「なるほど」
彼は、トランクから数冊の部厚な書物を取り出して網棚の上にのせ、そのうちの一冊を持つて甲板へあがつて行つた。
私もまた荷物のなかへ入れて来たピエル・ロチの「安南攻略の想ひ出」をかゝへて談話室の一隅に腰をおろした。
女宣教師
夕食の時間を知らせるディンナア・チャイムが鳴つた。席の配置をみると、私のテーブルには軍人を除いた乗客がひと纏めに集められて
次へ
全15ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング