う、あの停車場の前の通りで、只今煙草屋さんがございますな、あの右隣りに恰好な家が空いてをりますんですが……」
「家主はわかりましたか?」
「へ? 家主はこれから捜しますんで……」
「ぢや、家主の承諾を得たら、家賃をきめてあげませう」
「どうぞ、なにぶんよろしく……。それからこのお神さんですがな、一緒に出て参つたんですが、この方は、なにか簡単な食堂のやうなものをやりたいと云ふんですが、私は、それより、ドラ焼のやうなもんはどうかと勧めてゐるんです。丁度道具を二つばかり用意して参りましたからな」
 それをやはり傍で聞いてゐた五十嵐君は、すぐに膝を乗り出し、
「それやいゝ。私が日に何百円でも買ひますよ。兵隊さんにうんと安く売るんですよ。これや大きな商売だ」
「さやうですか。ありがたい。なあ、お神さん、ほれ見い、云はんこつちやない。わしの考へはどうぢや。お前さん、運が向いて来た、ほやろ」
 私は、城外の停車場附近に日本人のコロニイが出来てゐると聞いて、早速そこへ出掛けて行つた。
 なるほど、これが戦場の跡に早くも種蒔かれた伸び行く日本の生活である。健かに、豊かに実れ!
 流石に、五十嵐組は、大きな構へである。こゝで覚えた言葉を真似れば、これこそ、一個の「野戦デパート」に違ひない。
 お茶のご馳走になる。
 この時、不意に、一大爆音が窓硝子をビリビリとふるはせた。
「なんでせう」
 私は訊ねた。
 五十嵐君は外へ飛び出した。私も続いた。さつぱりわからない。停車場の方向に煙が濛々とあがつてゐる。
 人々が右往左往してゐる。
 が、そのうちに誰云ふとなく、人夫が運搬中の爆弾を取落したのだといふ。空から落ちて来たのではないらしい。
 私たちは家の中にはひつた。
 ところが、しばらくすると、一人の支那少年が泣きべそをかきながら、五十嵐君のそばへやつて来て、なにやら、口籠りながら喋りまくつた。
 この話は、かういふ風に書くとあまり気もちのいゝ話ではない。しかし、戦場挿話としては是非なくてはならぬものゝやうに思ふ。
 少年の云ふところはかうだ。
「今、父親が死にさうになつてゐる。先生、早く来て下さい」
 私たちはその少年の父親が今の爆弾で大怪我をしたものと直感した。
 五十嵐君は駈け出して行つた。といふのは、それがこの家の大家なのである。
 やがて五十嵐君は悄然として帰つて来た。
「もう駄目なの?」
 私は努めて落ちつかうとした。
「なんのこつた。まるで話が違ふんですよ。あの親爺といふのが、今何処かから手榴弾を盗んだといふんで、首を切られるところだつたんです」
「え? 誰に?」
「いや、それがね。……僕、ちよつと○○隊に行つて来ます。手落ちはないと思ふが、よく調べてもらはなくちや……。とにかく僕の大家さんなんだから……」
 私は、丁度そこへ来合せた井河氏に、敗残兵とやらがこの辺にまだゐはせぬかを訊ねた。
「城内は大丈夫です。一昨夜、ちよつと城外でそんなデマが飛びましたがね。なに、なんでもありませんでした。初めの様子では二千人ぐらゐやつて来たかなと思ひました」
「へえ、そんなに?」
「城内の住民はたうとう知らずにゐたでせう。日本人が先に騒いではいけません。最後まで知らん顔をしてゐなくちや……」
 そこへまた、昨夜五十嵐君から紹介された日本の一婦人が、彼女自身「隊長さん」と呼んでゐる、一見将校のやうな服装をした、如何にも気骨稜々と云ひたいやうな壮漢を伴つてはひつて来た。
 彼女は、先づ私に彼を紹介し、
「先生は是非この隊長さんのお話をお聴きになるとよろしいわ。きつと面白いとお思ひになるわ」
 出された名刺を見ると、「○○軍靖郷隊第○隊長。堀内鉄洲」とある。
 抑も靖郷隊とはどういふことをする部隊なのであらうか? この名前は多分、新聞にも一二度は出てゐる筈だ。現に、私と向ひ合つてゐる堀内隊長の華々しい負傷の状況が内地のラヂオを通じて国民の耳に伝へられたとのことである。
 氏は、いままで北京へ帰つて負傷の手当をし、全快を待たず、再び第一線に向ふ途中、此処を通りかゝつたのである。
 いゝところで、いゝ人に会つたものだと、私はその婦人にお礼を云ひ、貪るやうに堀内氏の話に耳を傾けた。氏は鹿児島の産であることが私にはすぐわかつた。勿論、現役の軍人ではない。肩章がないのを見てもわかる。しかし、やはり「特別任務を帯びた準戦闘部隊」の隊長には相違なく、その任務が命ずる行動の範囲は、正規の戦闘部隊に比して、決して狭いとは云へないのである。
 先づ、その名称の示す通り、靖は鎮めるであり、「郷」は部落、都市である。即ち、第一線部隊と共に保定なら保定に乗り込んで、直ちに住民を慰撫し、秩序の維持に当る役目なのである。従つて、隊長以下支那語に堪能で、地理に詳しく、風俗習慣に通じ、その上胆力と奇略に富んでゐなければならぬ。隊員は、大部分支那人で、隊長の腹心であるとまでわかれば、凡そその活動ぶりが想像できる。
 追撃戦の場合など、工兵の来ないうちに、落ちた橋をかけ直して急場の間に合せるなどといふ芸当はこの部隊でなければできぬだらう。それもその筈である。隊長の命令一下、何時どんなところでゝも、苦力の千人や二千人は立ちどころに集められるといふのだから。
 保定の南、新楽の町はづれに鉄橋があるが、それと並んで急造の橋がかかつてゐる。「靖郷橋」といふ札が立つてゐる。この鉄橋は退却する敵によつて破壊されたものである。
 軍の統一ある治安工作機関として宣撫班といふものがあることはもう誰でも知つてゐるが、早く云へば、場所によつて、その仕事の下ごしらへをしながら前進する半武装部隊である。恐らく、臨機応変の便法として、私設的に編成されたものであらうと思ふが、ともかくこれらの人々も、やはり彼等の信念のために身命を擲ち、効果百パーセントの働きを示してゐることを特記すべきであらう。

     保定第二夜

 五十嵐君の招待で、私たちは、開店前の酒場といふので牛鍋をつゝくことになつた。
 女たちは、悲痛な声で満洲小唄を歌ひ、堀内氏は朗々と槍さびをうなつた。
 アカシヤの生ひ茂る枝の下である。支那家屋の中庭は、忽ち「野戦カフエー」の珍奇な風景を呈しはじめた。
 頭の上を、騒がしく啼いて通る鴉の群を、私はしばらく眺めてゐた。その声は鳥といふよりも寧ろ獣に近く、例へば咽喉をからした小猫の啼き声を想ひ出させる。夕闇を更に暗くするほど、忽ち空一面を覆つた無数のこれらの鴉は、街の上をひと廻りして東へ飛び去つた。
 三本脚の野良犬が餌をあさりに来た。私は肉の一片をつまんで、こいつを門の外へ連れ出した。すると、あちこちから、大小さまざまな犬が寄つて来た。見ると、どれもこれもびつこをひいてゐるか、腰をひん曲げてゐる。私は、急いで門を閉ぢさせた。
「さあ、明日はいよいよ出発だ」
 堀内氏は感慨深げに叫んだ。
「やつぱり汽車は出るんでせうね」
 昼間、私は、鉄道に関係のある将校から、明日新楽行の軍用列車に乗せて貰ふ許しを得てゐるからである。
「大概、大丈夫と思ひますが……。わしの方はなにしろ大勢だから……」
「一緒に行けますね」
「何処までおいでですか?」
「先づ石家荘まで」
「わしも石家荘へ行きます。それから、命令でどつちへ出掛けるか……」
「僕も、行けるところまで行きますよ。連れてつて下さい」
「わしについてゐさへしたら安心です。これから先はあぶないと思つたら、教へてあげます」
 さうだらう。かういふ戦場では、どこが危いといふことを知ることさへ、素人にはむづかしいのである。
 夜が更けた。
 私は城内に帰らねばならぬ。堀内氏も警察局に用があるといふので、一緒にこの家を出た。
 城門にさしかゝると、歩哨が誰何《すいか》をした。戦地では、この「誰か?」に一度で返事をしないと、命があぶないのである。
「文芸春秋社特派員」
 云つてしまつて長すぎたなと思つた。「従軍記者」でよかつたのだ。
 銃剣がぴかりとして、私たちは衛兵所の前に立つた。
「通過証は?」
 司令が訊ねた。
「誰のです?」
「城内へはひるのには○○○○官の通過許可証がなけれや駄目だ」
「そいつは知りませんでした。昨夜はそんなことなかつたんでせう?」
「今日から命令が出た」
 そいつは弱つた。○○○○官だつて、もう寝てゐるだらう。
「警察局へ帰るんですが、それでもいけませんか。お巡りさんがそこにゐますから、なんなら附いて来てもらつても……」
「いや、規則は規則ですから、お気の毒ですが、衛兵としては、守則に従ふ以外、何等の権能もありません」
 司令は、顎髯を蓄へた年輩四十五六と覚しき老伍長である。
 たとへ日本軍の将校と雖も、巡察以外は入れないと云はれてみれば、止むを得ない。
 私は、井河氏に断りを云はねばならぬ。かくかくしかじかの理由で今夜は城外に一泊するが、明朝は汽車が早く出るらしいから、挨拶に伺へぬかも知れぬ。荷物を誰かに纏めさして明朝七時までに停車場へ届けて欲しいと、一筆名刺に認めて、そこにゐるお巡りさんに局へ持つて行つてくれと頼んだ。
 が、私は、こゝでも、内心、不便なことだとは思ひながら、一方軍律の厳として犯し難きを頼もしく感じ、衛兵に一礼して、堀内氏と共にもと来た道を引つ返した。
 私たちは、この時刻に、もはや万策つきて、さつきの家へ泊めてもらふことにした。幸ひ一と部屋空いてゐるといふので、五十嵐君の勧めるまゝにアンペラの上に毛布一枚にくるまり、身心ともに硬ばらせて、うつらうつら、妙に寒々とした一夜を明かした。
 翌朝、いよいよ汽車が出るといふ瞬間、私の荷物はやつと届いた。五十嵐君が、自転車を走らせてくれたからであつた。
 擬装した○○機関車が無蓋貨車をゆるゆると牽いて行くのである。
 貨車は寿司詰めであるが、周りの兵隊さんたちはみんな陽気だ。
 快晴、微風、満腹。そして、新楽までは、平時なら三時間といふのだが、今日はどれくらゐかゝるか?

     前線へ

 堀内氏は北京から連れて来た三人の部下と一緒に乗り込んでゐる。私は自分のトランクを椅子の代りにして無蓋貨車の一隅に陣取つたので、展望は自由であつた。
 便乗組のわれわれ以外は、多くて五十名、少なければたつた一人といふ風に、別々の部隊に属する兵隊さんたちの、云はゞ混合列車であることがわかつた。後方から特別の任務を帯びて前線へ派遣されるものもあり、留守隊から補充として第一線部隊へ編入されたものもあり、負傷とか病気とかのためにしばらく野戦病院にはひつてゐたのが、やつと全快して原隊へ復帰するといふものも混つてゐる。従つて、兵科もいろいろ、出身地もまちまちである。初めて戦線に出るのだといふ若い現役兵もゐれば、もう天津以来弾丸の下をなんべんも潜つたといふ古つはものもゐる。将校も一人二人はゐるらしいが、別に指揮官としてゞはない。
 沿線は一面の棉の畑である。農夫の姿もところどころに見える。
 例の粘土色の平野が何処までも続いてゐて、森も丘もない。たゞ、まばらな立木が、ところどころに生えてゐるだけである。そのなかに美しく黄ばんだ葉がみえるのはなんであらうか?
 不思議なことに、針葉樹といふものがまるで見当らない。その上、どの樹も枝ぶりが同じやうで、何れもやはらかく垂れさがつてゐる。楊柳、アカシヤ、楡、たまに部落の近くにはナツメなどあるさうだが、遠くからはその見分けはつかぬ。季節のせゐもあらうが、全体の緑は、白つぽくくすみ、紺碧の空のなかへ、大地の色が沁み込んでゐるやうに見える。
 なんの変化も、なんの刺激もない。自然は単調そのものだとは云へる。しかし、それでゐて、決して、荒涼たる眺めではない。たゞ巨きく、静かなのである。
 望都といふ停車場に停つた。
 守備兵の間を駈け抜け、梨売りが列車めがけてたかつて来る。五銭で十個、安いには安い。
「どら、ひとつ味をみてやる」
 手を出す兵隊があると、梨売りは、油断をしない。
 私は水筒に茶を入れることを忘れたので、早速それを買つた。今迄食つたどんな梨とも似てゐない
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