漢が、薄暗い廊下の隅に、「此の戯曲は抑も何派なりや」を考へ悩んでゐるわが築地小劇場の幕間こそ、世にも尊きものでなければなりません。
国立劇場コメデイー・フランセエズの幕間は、それぞれの頭の中を割つて見ない以上、これこそ、理想的な幕間でせう。なぜなら、そこには、けばけばしさと、物欲しさと、焦立たしさとがないからです。
少しばかり、「予期の満足」があり過ぎると云へば云へませう。「感激」よりも「誇らかな同感」がある。しかし、幕間の気分には、その為めに「落ちつき」と「温かみ」が生じる。一種の「気品」さへもついて来る。
僕は帝劇といふものに、こゝ六七年御無沙汰をしてゐます。従つて、最近の感想は述べられないわけですが、あそこの「客種」は一寸変つてゐるさうですね。話に聴けば、どうも、あまり感心しないものらしい。そんなら、歌舞伎とか市村とかはどうか。僕は、まだ前者には失礼してゐるが、此の間、市村座に行つて、六七年前と比べて、余程、幕間の――つまり劇場の雰囲気といふものが、変つて来たことを感じました。劇場の建築や、装飾や、見物の服装や、化粧や、そんなことよりも、見物の一人一人が、それぞれ、或る意
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