、たゞ、お互ひに顔を見合はせたゞけで、「なるほど」と首肯き合へるやうな連れが一人ほしい。
パリの劇場で、幕間の数分間を、さほど不愉快に思はずに過せた劇場と云へば、まあ、コメデイー・デ・シヤン・ゼリゼエの、それも木曜のマチネでせうか。
見物の数は三四十人。座席はあれで八百もありましたらうか。ピトエフ夫妻が、死物狂ひの舞台を見せてゐるやうな時でした。
それは、今日の築地小劇場と、やゝ似た「客種」であつたせいもあり、それでゐて、あらゆるジエネラシヨンを網羅し、あらゆる性が略ぼ平等の数を占めてゐたからでせう。
幕間の廊下は、恐ろしきまでの沈黙を守つてゐました。
ヴイユウ・コロンビエの幕間も、また、特筆すべきものゝ一つでせう。
こつちは、何しろ、もうパリ名物の一つであるだけに、外国から、わざわざ見物に来た、さういふ連中が、あの狭い廊下で、いろんな色の眼をきよろつかせてゐる。
初日などは、場所が少いお蔭で、パリの劇評界を一眼で見渡すことができる。
こゝで、一番困るのは、それと相場のきまつてゐるアメリカの「文学老女」とそれを取り巻くスノブの群、これなら、まだしも、神経衰弱の五百羅
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