の写真を贈つてくれた。上演許可後、何の音沙汰もなく、作者をして不安な日を過ごさせる多くの劇場当事者の中に、このやうな行き届いた人のあるのは嬉しい。
所用あつて近々京阪地方に赴く予定であるが、是非宝塚を訪れて、一夕を国民座の見物席で過ごさうと思つてゐる。
大劇場の舞台に適しない私の戯曲が、これまで二三度、計らずも大劇場で脚光を浴び、その度毎に私は自分の仕事の前途を思つて心細さを感じたが、今度も同じ経験を繰返すことだらう。
私は決して小劇場主義者でもなければ、小劇場向の戯曲のみを書かうと心掛けてゐるわけでもない。たゞ、これも作家の素質如何に関係するもので、どう考へて見ても、数千の見物を前に私自身としては、何を語つていゝかわからない。
それが私一人ならいゝ。現在の劇作家――少くとも私たちと同時代の作家の多くは、これと同じ疑問にぶつかつてゐはしまいか。
新劇協会なども、これから、もつと多勢の見物を喜ばせるやうな舞台を仕組まなければならない時機に達してゐながら、その舞台にかけ得られさうな新戯曲が、何時現れて来るか、今の処、ちよつと見当がつきかねる。困つたことだ。
来月十五日から、既に
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