者土方氏に対する「余計なおせつかい」である。
 私は何よりも、あれほど「芸術的」に不評だつた戯曲を、進んで舞台にかけた築地小劇場の勇気、「演劇」といふものに対する当事者の徹底した見識に頭を下げる。これは決して皮肉ではない。その証拠に、私は、今、自分の瞼が熱くなりつゝあるのを感じてゐる。
 藤森氏の小説は、私の最も愛読するものゝ一つである。しかし戯曲はその小説の如く私の興味を惹かない。築地小劇場の演出がどうであらうと、私は、『彼女』を観に行く気はしない。しかし、それはそれでいゝのである。藤森氏よ、それがために私のあなたに対する敬愛の念が少しでも薄らいだのだとは思つて下さるな。芸術家は、芸術的によいものを残しただけで、たゞそれだけで、芸術愛好者の尊敬を受けなければならない。他の方面で、「またよいこと」をすれば、他の方面から、また尊敬を受けるだけである。私が藤森氏に二重の尊敬を払つてゐても、少しも不思議はない筈である。
 私が、今、築地小劇場に対して、新たな讃辞を呈する所以もまた、そこにある。
 宝塚国民座は、目下、私の『百卅二番地の貸家』を上演してゐる。開演後間もなく、未知の演出者から舞台
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