帝劇の舞台を借りて臨時公演を行ふ予定すらあるのである。
その出し物についても、一同は協議に協議を重ねたが、これといふ目星しい案も浮かばない始末である。興行政策からいへば一幕物を三つ並べるより、三幕物を一つ出す方がいゝらしい。一幕物といへど大抵は小劇場向きである。私などは近頃、一つ二つ、やゝ長いもの――といつても百枚足らずの中篇である――を書きはしたが、何れも、一幕物の引きのばしといつた程度のものに過ぎない。雑誌に発表する便宜などの関係もあるが、もつとどつしりした作品――形式からいつても大劇場向きの(必ずしも通俗的であることを要しない)作品が現れて来ることが、新劇の将来のためにも望ましいことである。
新劇協会は、今、さういふ戯曲を求めてゐる。活字になる前に舞台へ上せる――さういふ発表方法を選ぶ若い作家があつてよさゝうなものだ。
なほ、私たちの求めてゐるのは有望な俳優志願者である。現在、新劇協会の研究生が十三名ばかりゐるが、これらの青年男女は、何れも無月謝で左の講義を聴講してゐる。
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演劇論 一週一回
戯曲鑑賞 同
欧洲比較文学史 同
東西美術史
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