斥したいのであります。唯自ら方言への愛情にも限界があるといふことは皆さんも御気付きのことゝ思ひます。
次に申したいことは、「書かれる言葉」としての国語乃至綴方については、今日全国の小学校で向ふところがはつきり見究められてゐるやうに思ひます。私も実はこれには感心してをります。例の「綴方教室」といふやうないくぶん変態的な産物は別として、まづ/\小学校の先生方は、この点、文章を書く、或は文章を理解する、読むといふことでは実によくやつてゐて下さると大に意を強くしてゐる次第であります。しかし「話される言葉」としての日本語の訓練は、是はどうでせう。実を申しますと、今日これを小学校の先生方に注文するのは少し見当違ひかも知れません。何故ならば現代の「話される日本語」といふものは頗る混乱してをりまして、何を標準とすべきか、何を捨て、何をとるべきかさへ何人も十分に研究してゐない有様なのですから。そこで現代の少国民に今の中から「ものを言ふ」修業をしてもらひたく、これを指導し育てあげ、小学校を出て直ぐ社会へ出て働くものと、中等学校に進むものとに論なく、何れも直ちに世俗的な「お喋り」の中にとびこんで、紋切型と
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