れた文章ではありません。標準語を自分のものにして、その思想感情を意の赴くまゝに愬へたものに相違ないのです。それが偶々標準語に合してゐるといふならば、標準語で書かれてゐても立派な文章になるといふだけであります。併しそれは唯単に標準語であると言つて片付けることの出来ない文章であります。さういふ文章ではじめて、言葉それ/″\の語感が活かされることになるのであります。
 序でに方言と訛りについて一言附け加へます。私は戯曲を書く場合の注意として、或る地方出身の若い作家にこんな注意をしたことがあります。「君はまだ標準語をマスターして居ない、従つて登場人物に標準語を使はせようとするのは無理だ。君だけの才能があれば相当な戯曲が書けると思ふが、書く場合、人物の各々に君自身に親しみある言葉、君の出身地の言葉を使はして見給へ、尠くとも、標準語を使ひながらついお国訛りを出すやうな人物、標準語を使ふつもりで居りながら、うつかり自分の国の方言がとび出すといふ人物を意識的に書いて見給へ、会話はずつと生彩を放つし、全体の現実感が高まつて来るに相違ない。」彼は私の言ふ通りにしました。すると当時、少し大げさに言ふと、文壇
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