だしい、或る場合には喋る時と書く時と反対な矛盾した二つの表現になることすらあります。是は少し厳密に自分の物の考へ方と書方を注意して較べて見るとわかります。その空隙を埋めようとすることが、物を書く練習になることは事実であります。書く時と喋る時とでは思想や感情のポーズがそれ/″\思はざる自己欺瞞に陥るのです。国語教育といふものが若し完全な日本語教育であるならばこの点をもつと考へないといけないのではないかと思ひます。
こゝで標準語の問題が起つて来ます。現代文では、教科書として標準語を使ふことが当然であるが、是は実に困つたもので、これくらゐ文学的でない言葉はほかにありません。東京語を基準にして標準語がつくられたものだと言はれてをりますが、東京語には東京語の調子といふものがあります。これは元来符牒に過ぎない言葉を活かしてゐるものです。標準語は言はば性格も気質もない言葉です。人間ならばデクの坊です、面白い文章、熱のある文体が生れる訳がありません。
そこで標準語でもこんな文章が書けるといふ例をいくつか挙げることが出来るとすれば、教科書の中にさういふ文章があるとすれば、それは標準語で書くために書か
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