私は文部省編纂の国語読本が国民教育の立場をはなれて存在しないことはよく承知してゐます。他の科目との関連といふことも察せられますが、それにしては周到な注意の下につくられてゐると感じてをります。一通りあらゆる形式のものが網羅されてゐます。文体から見ますと現代語は標準語といふ制限のあるためもあるし、内容が幾分啓蒙的でありすぎるために、それ/″\の形式は揃つてゐますが、形式が要求する文体的魅力が十分発揮されてゐない憾みがあります。
 もう一つ、これは少し僭越な言ひ方かも知れませんが、同じ物語りでも何となく美談めいたもの、出て来る人物が例外なく俗にいふ感心な人物でありすぎるのが気になります。これは児童の精神に健康的なものを与へるといふ配慮から一応御尤なことでありますが、文学者の立場からは異論があります。といふのは、日本人の美談好きは今や少々鼻もちならぬ、頽廃的傾向を生んでをります。それは偽善につながるばかりでなく、人間的価値を表面的な言葉や行為で片付けようとする浅薄な形式主義に陥ります。根本は明治以来の立身出世主義の風潮に帰すべきで、俗人横行の最大原因です。人間の本性や、必然の心理はかうい
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