るほど、子供の想像力は「言葉の生命」に直接触れて動き出すといふ微妙な作用を示してゐるのだと思ひます。といふことは、つまり対話の文体は、外の説話体或は描写体の散文よりも、言葉そのものの生命といふものが一層身近に感じられるからであります。そこで私は「対話」といふ形式に子供の表現力を伸ばす一つの鍵がある、言葉の秘密を探り出させる端緒がありはしないかといふことを考へてをります。教科書の中の現代文の対話について少し考へてみますと、対話にもさき程申しましたやうに色々あつて、散文としての対話、韻文としての対話、もう一つ戯曲的対話といふものがありますから、その区別を十分にして頂きたいのです。これを混同すると散文的な対話を強ひて戯曲的対話として取扱ふ危険があります。つまり散文としての対話に戯曲的対話の表現を無理に与へることになると、子供の想像力を混乱させることになります。世間に通用してゐる児童劇、童話劇といふものを見ると、この点が実に目茶々々であります。
 それでも子供は結構自分の空想でそれ/″\の場面を原作以上に面白く運ばせてゐますが、併し「言葉の訓練」といふ点から見ると非常に害があるやうです。一般の
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