まだフランス革命の前ですが、「フランスは既に一つの革命を完了した。それは民衆の教養を高め得たといふことだ」と、デイドロは宣言してゐる。民衆の教養を高めたといふことは、フランス国民の中に正しい国語といふものを造り上げたといふ意味で言つてゐるのであります。これも誠に面白い。ルソオは一方でまた、かう云ふ意見を述べてゐる。「国語は所謂卑俗な言葉を避けることに依つて一層卑猥となる」。「卑俗と卑猥」と云ふ訳語が正確であるかどうかちよつと疑問ですが、兎に角下層で使はれてゐる言葉を極端に嫌ひ却けることは、必ずしも言葉の純化にならない。さう云ふことに依つて却つて言葉が卑猥になる。卑猥といふことは一種の臭み、「いやらしさ」と云ふ意味に私は解釈する。これは十七世紀に行はれた言葉の整理から、宮廷人士の間に言葉に対する一種宮廷風の好み、云ひかへると上品ぶつた云ひ廻しと云ふものが出来まして、マレルブの最初の意図からは遠い、民衆の言葉或は言廻しと違つた表現が巾を利かすやうになつた。全体ではありませぬが、極端なのはプレシオジテと云ふ流行がこれであります。婉曲に洒落れて言はうとする「いやらしさ」、その当時、モリエールが
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