誰よりもそれを嗤ひましたが、ルソオも十八世紀的時代精神を以てその弊を此処で責めてゐるのであります。自然の言葉は民衆の言葉であると云ふことをはつきり言つてゐる。是は一つの時代精神だと思ひます。そこで私は、現代の日本語と云ふものを考へます時に、勿論十七世紀に於けるフランス語の純粋化と云ふことに較べて、一層色々な困難、複雑な事情があることを知つてゐるのでありますけれども、国語の改良と云ふことがやはり単なる便宜主義とか、或はまた一部人士の好みに依つて言葉を上品にするとか、さういふ方針に基づいて行はれたならば、日本語の為に果して好い結果が得られるかどうかと云ふことを惧れるのであります。
最後に、フランス語の優越性を信じきつてゐるフランス人が、自分の国の言葉に面白い折紙をつけてゐますから、それをご紹介しますが、今度は英語と較べまして、「英語国民は英語に依つて領土的侵略を行つた。併しフランスはフランス語によつて、国民の為に、精神的領土を全人類の上に築きつゝある」と云ふ非常に自信に満ちた宣言であります。フランスはフランス語そのものの力に依つて精神的に国民の領土を拡げて行くと云ふ一つの誇り、この誇りが
前へ
次へ
全26ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング