カデミーで許されてゐる言葉以外の言葉を使ふ宮廷人は軽蔑され、或は排斥もされたのであります。この十七世紀に於けるフランス語の純化運動は所謂古典語なるものを作り出したのでありますが、意識的に統制されたフランスの古典語は、日本に於ける古典語とはよほど性質が違ふのであります。この古典語の完成といふことは、それが一般国民の上に徹底して、言葉の標準になる時期まで待たなければなりませぬ。古典語の創造者は矢張り時間を必要とすると云ふことをその当時から認めてをつたやうであります。しかし結果から見まして、この十七世紀に於けるフランス語の純化運動と云ふものは、少数の識者の力に依つてそれが有効に行はれたばかりではなく、実は国民の中にさう云ふ要求が既に無意識にでも存在したのだと云ふことを国語史の著者は指摘してをります。従つてこの少数の識者のこしらへた言葉の上の規則と云ふものは、実は民衆が意識しないで示してゐる言葉の上の現象と一致してゐるといふのでありまして、これ果して、それらの識者が、先見の明なり、或は一種の透徹力をもつてゐたからであるかどうかは、今日まだ疑問としなければならぬかも知れませぬが、さう云ふ一致が其
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