処に見られる。十七世紀の精神は十六世紀の享楽を追ふ個人主義的生活から徐々に禁慾的な生活の讃美と云ふことに傾いて行きましたし、また感情を主とする行動と云ふものが漸時卑しめられて、理性と意思の力といふものが色々な面で尊重されだした時代であります。また、十七世紀は義務の履行と云ふことが特に強調された時代でありました。これがデカルトの哲学を生んだ一つの雰囲気であります。面白いのはかう云ふ時代精神は、言葉の自然の変化の中に現はれてゐると云ふことを、私はこの書物で教へられて驚いてゐるのでありますが、例へば……フランス語の例で十分説明はつきかねますが、十六世紀の頃には、自分の意見を述べるのに、相手の立場といふものを必要以上に考慮にいれる習慣がありました。それが個人々々の感情を尊重する形で表はれるのです。
 今、自分より身分の高い対手と、婦人の品定めをするやうな場合、自分の意見を云ふのに、日本の現代の言葉に強ひて訳しますと、「甲の方が乙よりも綺麗なのぢやないかと思ひます。」日本には現在さう云ふ言廻しがあります。この云ひ方は相手の思惑を斟酌した云ひ方で、非常に感情的です。これが十六世紀的表現であります。
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