すと、やがて次の時代に立派に解決されてゐるところがなかなか面白いところだと思ふ。国民一般の言葉の純化整理がどうしてそれほど楽に出来たかと云ふと、丁度フランスの十七世紀と云ふのは、国民的な自覚の最も高潮に達した時代であつたと云ふことが第一の理由であります。別の言葉で申しますと、文芸復興以後勃然として起つた個人主義の思想が次第に衰微した時代であります。十六世紀は自我の発見と解放の時代で、日常生活に於ても、社会現象に於いても、個人主義的な主張の充満した時代でありまして、言語風俗から申しましても、各人が勝手気儘な言廻しを平気でしてをつた時代ださうであります。自然この時代はフランス国内でも言葉の恐るべき混乱が生れてをつたのであります。その時代の言葉の混乱無秩序を個人主義の思想に結びつけてゐるのがこの議論の面白いところだと思ひます。十七世紀になりますと、この個人主義の思想といふものが一時衰へました。国家意識の浸潤と社会生活の変革がその原因とされてをります。そこから、隣人と共通なものを求める一つの考へ方、理性の尊重がこの十七世紀の一つの時代色になつてをります。かう云ふ時代の風潮が言葉の統制純化と云ふ
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