を有つてゐる戯曲と答へられるでせう。――よろしい。それならば、『白鳥の歌』と『狼』とに、本質的に共通な点がありますか。戯曲としてゞすよ。
築地小劇場が、チェホフの一短篇を上演目録中に加へたことに同感ができる僕は、『狼』を加へたことに全然同感ができない。チェホフの戯曲の戯曲的価値を――所謂文学的価値ではない――認め得る人が、ロマン・ロオランの戯曲を買ふ筈はないと思ふのである。また反対に、ロマン・ロオランの戯曲に劇的価値ありと主張する人が、チェホフをその傍に並べることは頗る不合理である。これは、ロオランが好きか嫌ひかの問題ではない。
固より「新しき演劇」への第一歩である。築地小劇場が、その同人の数こそ多けれ、演劇に対する同一信条を抱いて結合してゐる以上、此の点にぬかりがあつてはならない。僕は、ひたすら、チェホフとロオランとの戯曲に、倶に含まれてゐるかも知れない「明日の演劇」の要素を、此の若い劇団の手によつて何時か示して貰ふことを期待してゐる。皮肉ではない。僕の現在もつてゐる演劇本質論は、「今日までの演劇」を基礎として、その進化の跡を辿り、消長の原因を尋ねて得た結論に過ぎないのである。
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