であつて、この問題が論議されることは少しも差支ないと思ひます。然しながら演劇に於いては、事件がいかに公衆の前に現されてをるかといふ問題が、極めて重要なのであります。この点に関し、フウキエ氏が昨日発表された文章中の最も適確な言葉を借用すれば、作者の意図と作品の外観との間に、一つの間隙があるのであります。つまり、眼前に展開された光景の、ある形態、ある細部が、公衆に、嫌悪、不快の印象を与へると認めなければならない場合があるのであります。
デルウレエド君――その場合、嫌悪の情はむしろ道徳的である。
議長――さうとばかりも云へません。
文部大臣――さうとばかりも云へません。さうです、議長の云はれることは至極尤もであります。かういふやうなことは、舞台を見た直後の印象によつて、判断をしなければなりません。若し、公衆に採決の権利を与へたとしたならば、その結果はどうでありませう。この作品を見て笑つてをるものと、さつさと家に帰つて行くものとの間には、投票の結果に自ら大なる差があると思ひます。われわれは、そのどちらかといへば、さつさと家に帰つて行く方なのであります。(拍手起る)
それならば、この戯曲
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