いのであります。検閲はその実、劇作家一同の利益のために存在するとまでいはれてをります。それは、誰がさう云つたかといへば、最も大胆な、そして最もこの問題に関係のある、つまり、最も頻繁に、最も烈しく取締条令に触れた劇作家、アレクサンドル・デュマ・フィスその人であります……。彼の言に従へば、「検閲は姑のやうなものである。一緒にをると、だんだん要領を覚える。ただ、可なりの辛棒と、少しばかりの機転が必要だ」さうであります。(笑声)
そこで、この度の検閲が、果して、邪慳な、うるさい、辛棒ができないほどの姑であつたかどうかを、一と通り考へてみたいと思ひます。
その前に、ミルラン君から、寄席で唱ふ歌詞について御注意がありましたが、これは、検閲官も手を焼いてをる次第で、一旦禁止した歌詞が、無断で唱はれてをるやうなことが間々あるのであります。この問題について、これ以上申す必要はありますまい。直ちに「娼婦エリザ」問題に移ります。
先づ、ミルラン君は、上演禁止の理由を質されました。
このことについては、ゴンクウル氏自身が新聞記者に対して、答へた言葉を参考にしたいと思ひます。「今度の上演禁止については、
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