を茶番だと云ふかも知れない。茶番は笑劇で、フアルスである。フアルスは日本でこそ芸術的演劇の仲間入りはせられないが、西洋では、今日、立派に芸術的存在を主張してゐるものがあるのである。
 同じく、「どん底」のルカといふ人物にしても、モスコオ芸術座あたりでは、モスコオフインの演技は、全く日本のそれと異り、あんな哲学者風な、聖人のやうな、達観したやうな、早く云へば理窟つぽい爺さんにせず、もつと剽軽で図々しく、そのくせ、おせつかいで、臆病で、口と腹とは違ふにしても、根は涙もろい苦労人といふ型に作り上げてある。従つて、もつとユウモアに富んだ、滑稽な人物である。「どん底」の舞台が、此の人物のさういふ性格以外に、全体としてもつと朗らかさといふか、呑気さといふか、さういふ露西亜独得の生活気分を漂はしてゐることは、誰が見ても分るのであるが、日本では、かの築地小劇場の傑れた演出を観ても、この点だけは、不思議に芸術座の演出と違つてゐる。あれはあれで一つの解釈であらうが、そこを、僕は、なんとかしなければならないのではないかと思ふのである。「どん底」の場合は、まあ、あれでいいとして、その調子が、どの脚本を演ずる場
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